3月18日 晴

上野理絵『英会話の基本文型87』(ペレ出版)を聴きながら、丸の内まで40分、借りていた本を返すために県立図書館まで歩いた。ちょうど昼時で、何かの店の前で人だかりがしているのを見やると、「名古屋で一番安い250円弁当!」という店だった。県立図書館までは、円頓寺というシャッター商店街を抜けていくのだが、その商店街にも「弁当280円!」という店がオープンしており、そこそこ売れているようだった。低所得者層が増えるなか、必需品を格安で提供する業態が盛況を呈している。餃子の王将もこの不況のなか売上を伸ばしている、と、ネットのニュースにあった。おれも最近では散髪は岩盤浴に付設されている千円の店で済ましている(まあ、値段の安さより、15分でさっさと整髪してくれるという手軽さが大きいのだが)。とにかく余分な部分は全部省いて安くしてあります!という店が成功している。富裕層市場より貧困層市場の方が市場規模が大きいというし、最低限の品質を保って値段を安くすればいいのだから、商売としてシンプルということもあるのかもしれない。

図書館で、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫)4巻を読み始める。家に帰っても読み継ぎ、夜中2時前までかかって読了する。エピローグを残してはいるが、これでほぼ読み切ったことになる。
大学の頃、一度読んでいるはずなのだが、あの頃はとにかくなんでも濫読してミソもクソもいっしょに読み飛ばしていた時期だから、今回が初読のようなものだ。当時は、おれにとって、「神」や「救い」というのは、たんに抽象的な問題でしかなかったから、読後の印象といっても「間延びしたかったるいサスペンスだな」という程度のものだった。何も分かっていなかったのだ。
ヴィトゲンシュタインは、この『カラマーゾフの兄弟』を、「ほとんど諳んじられるほどに繰り返しひもといた」というが、今回通して読んでみて、その意味がよくわかったような気がする。
「自分自身」も含めて、一切が相対的でしかないこの地上に生きながら、それでも「超越的な存在へ開かれて在る」ということがどういったことなのか、換言すれば、人間にとって神とはどういった存在なのか、ということ。……
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by daiouika1967 | 2009-03-19 20:23 | 日記  

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