3月25日 晴

昼、県立図書館まで歩く。頭が重く、しばらくソファーで『ユリイカ』の諸星大二郎のインタビューなど読みつつ、なんとか時間をやりすごす。一時間くらいで図書館を出て、伏見経由で名駅まで、1時間ほど歩いていたら、体調が回復してきた。喫茶店で、坂本龍一、坂本龍一セレクションのグレン・グールドなどを聴きながら、リン・ディン『血液と石鹸』(柴田元幸訳 早川書房)を読む。読了。

ジュンク堂で、ジャック・ロンドン『火を熾す』(柴田元幸訳 SWITH LIBRARY)、ミルチャ・エリアーデ(聞き手:クロード・アンリ・ロケ)『迷宮の試練 -エリアーデ自身を語る』(住谷春也訳 作品社)を買う。エリアーデのインタビューは、さっき図書館で読んだ雑誌で、坪内祐三が紹介していた記事を読んで、「あるかな?」と捜したらあった。エリアーデのような、「博覧強記」タイプの学者の、自伝的な語りを読むのが、おれは好きなのだ。
喫茶店に入り、さっそく読み始め、半分くらい読み進む。

中古CDショップ69に寄り、「新着」のコーナーで、デビッド・バーン『グロウン・バックワーズ』を見つける。リン・ディンを読んで、ちょうどトーキング・ヘッズが聴きたいなと思っていたところだった(リン・ディンのような小説は「何か」に似てるな、と考えていて、それがトーキング・ヘッズやローリー・アンダーソンの詩に似てるんじゃないか、と気づいたのだった。彼らの「歌」を聴きながら、おれは「小説」を読むときと同じ刺激を受けていたんだな、と考えていた)。
さらに、スクリッティ・ポリティ『キューピッド&サイケ85』を見つける。すべてのディティールを記憶するほど聴き返した名盤だが、パソコンに入れておいたデータをとばしてからは買いそびれていた。さらにトーマス・ドルビー『ザ・フラット・アース』、デヴィッド・シルヴィアン『ゴーン・トゥ・アース』と、おれの80年代魂に訴えかける名盤を重ねて見つけ、ううん、たまにこういうことがあるから中古屋めぐりはやめられない。勢いがついて、『子門真人ヴォーカル・コンピレーション ―TVサイズ・コレクション』、エイフェックス・ツイン『ドラッグス』も合わせて、6枚購入してしまった。69は安いので、支払いは、6200円で済んだ。

夜、DVDで是枝裕和監督『歩いても 歩いても』を観る。阿部寛、夏川結衣、樹木希林、原田芳雄、YOU他。十数年前に死んだ長男の命日に、阿部寛、YOUの兄弟が、それぞれの家族とともに、実家に里帰りする。どうやらこれは毎年の行事になっているらしい。映画は、ほぼ全編、その一日の家族の様子を描写して終わる。
母親の樹木希林と娘のYOUが料理を作る場面から、映画は始まる。その料理を拵える包丁さばきがアップで映し出され、その映像がじつに「美味しそう」だったので、最初から映画の流れに引き込まれた。その手作業の丁寧な描写を見ていると、日々習慣的に繰り返される料理のような営為が家族の生を支えているんだな、と自然にそんなふうに思わせられる。

親子、兄弟、親戚といった多様な対の関係が絡み合い、しかし矛盾や葛藤を渾然と同居させたまま、平然とその日常を成立させている。
家族というのは、そのような「渾然とした雑多」として存在している。シリアスなこと、根源的なことに、いい加減なこと、そこでしか通用しないヘンなことなんかが同じだけ混ざって、その総体で家族というもののリアリティができあがっている。
いわゆる「ホームドラマ」では、ひとつか、せいぜいふたつみっつのドラマをはっきりと語るために、その「渾然とした雑多」を、わかりやすく整理してしまうものなのだが、それでは家族のリアリティは損なわれてしまう。
この映画では、例えば、原田芳雄と阿部寛の親子が確執がヒートアップしそうになるところで、遊びに出ていた子供たちが帰ってきて、そのにぎやかさのなかに言い合いの言葉が紛れてしまったりするのだが、そんなふうに、ひとつのドラマのシークエンスがカタルシスに達することなく、現実の多様性のなかに解消されてしまうようなぐあいに場面がつづいていて、その時間の流れのなかに家族のリアリティがしっかりと汲み取られている。
それはすべてが曖昧に過ぎてしまうということを意味してはいない。現実の家族での体験がそうであるように、そこでは、ドラマとしては発展することのない、小さなディティールのひとつひとつが、とても強い意味を帯びて、観る側に迫ってくることになるのである。

それにしても夏川結衣はいい女だなあ……
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by daiouika1967 | 2009-03-27 01:21 | 日記  

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