3月26日 晴

昨日買ったCDを片端から聴きながら、ミルチャ・エリアーデ(聞き手:クロード・アンリ・ロケ)『迷宮の試練 -エリアーデ自身を語る』(住谷春也訳 作品社)、残り半分を読む。
<神話的思考>をめぐるちょっとした言葉の端々に深い洞見が感じられる。
―「原始的人間にとって、動物はそこに、世界の中にいる、それは所与です。一方食用になる植物、穀物、それは所与ではなく、世界の始まりから存在していたのではない。労働と魔術で収穫を創造したのは人間です。(中略)人は血の供犠を通して生贄のエネルギーを、<生命>を、自分が創造しようと望む作品に投入します。」(P82)
―「そうして、まことに、私に災厄と見えるもの、それが怨念でした。それは創造力を麻痺させ、生活の質をなくすものです。怨念の人は、私からすると、生命を活用しない不幸な人です。その生活は抜け殻のようなものです。」(P129)
―「もっともテクノロジカルな文明においてすら、変わりえない何かがあります。昼と夜、冬と夏があるのですから。樹木のない都市においてすら、天体のある空があり、常に星と月を見ることができます。昼と夜、冬と夏がある限り、人間は変わりえないであろうと私は思います。われわれは、望まずして、この宇宙のリズムに統合されているのです。」(P155)
―「人間は自分の条件が生存のための殺害を要求することを学んだだけはなくて、植生の、その永続の責任を引き受け、そのために人間の供犠とカンニバリズムを引き受けたのでした。生命は殺害によって保証されるという観念、数千年にわたって人類の大きな部分のものであったこの悲劇的な観念を、いいですか、人類学の上で記述するだけでなく実存的な形で理解しようとすれば、それ自身やはり悲劇的な一つの経験に携わることになります。宗教史家と宗教現象学者がこれらの神話や儀礼を前にするときは、外部の対象―解読すべき古文書や分析すべき制度―を前にするのとは違います。その世界を内側から理解するためにはその世界を生きなくてはなりません。それは、俳優が役の中に入り、それを引き受けるようなものです。」(P159)
―「宗教現象は実存的状況を表現します。あなたは解読しようとするその現象に参加するのです。」(P160)
―「農業という技術的発見を通して、狩人が直面していたのよりもいっそう深い<神秘>が人間の意識に啓示されます。宇宙は生きたオルガニズムであり、それは生命があるリズムに、深く必然的に死とつながるサイクルに従っていることを発見します。種は死ななくては再生できないのですから。そうしてこの技術的発見は人に自分の存在様式を明かします。<人は野の草のようなもの>やその類の比喩、『旧約聖書』や現代の私たちにまで使われる比喩が生まれるのは新石器時代です。植物のはかない性質を嘆くものではなく、楽天的なメッセージとして理解しなくてはならないテーマです。植生と生命の永久周回の理解……。」(P174)
―「原始人にとって、同様に伝統的社会の人にとって、外部世界の物は自立的な固有の価値をもちません。モノあるいは行為はある価値を獲得し、そうすることによって現実となります。それらを超越する実在性になんらかのあり方で参加するからです。だから、私が『永遠回帰の神話』の中で示唆したように、アルカイックな存在論にはプラトン主義的な構造があると言っていいでしょう。」(P187)
―「実在する、かつ意味のある世界という意識は聖の発見と親密に結ばれています。実在の、強力な、豊かな、意味のあるものと、こうした美点を欠いたもの、すなわち事物の混沌とした危なっかしい流動、それらの偶発的で無意味な出現消滅との違いを、精神は聖の経験を通じて把握したのです……。でもさらに聖は意識の歴史上の一段階ではなく、その意識の構造の中の一要素だという点を強調しなくてはなりません。文化のもっともアルカイックな段階では、食料摂取、性生活、労働は秘蹟的な価値をもちますから、人間として生きることそれ自体が一つの宗教的行為です。聖の経験は人間の世界の中における実在の仕方に内在しています。実在のもの―およびそうでないもの―の経験なしに人間は自分を組み立てようがありません。」(P198)
―「神話の物語るのは聖なる歴史、すなわち時間の始めに起こった始原の事件で、その登場人物は神々と文化英雄です。神話が絶対的真理を創設するのはこのためです。ある真実がいかにして存在することになるかを啓示することで、神話だけでなく、食料摂取、性別、労働、教育など、意味ある人間活動すべてのモデルを神話が構成するのはこのためです。それ以来、人間は日常の動作において神々を真似し、神々の行為をくり返します。」(P201)


午後、丸善で、坪内祐三『人声天語』(文春新書)、内山節『怯えの時代』(新潮選書)を買う。
喫茶店で、坪内祐三『人声天語』(文春新書)を読む。「文藝春秋」に連載された時評、2003年6月から2008年12月までの分がまとめられている。時評といっても、とくに“一般的にアクチュアルな話題”ばかりが選ばれているわけでもない。「天声」のように「客観をよそおわない」と冒頭で書かれているとおり、ひとりの中年の男が生きているという、その身体性、反射神経が感じ取られ、声が聞こえてくる。それで、その人と会って話しているような感じで、読みに没頭することになる。
夜も読み継ぎ、読了する。
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by daiouika1967 | 2009-03-28 11:46 | 日記  

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