4月23日 晴

昨夜、ようやく、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を観た。凄い。凄い映画だ。映画ではまず、連合赤軍が結成されるまでの歴史的な流れが、当時の実際の映像を繋ぎ合わせて描かれる。音楽はジム・オルーク。事態の推移をおさらいするための場面であるにもかかわらず、説明的な冗長さがまったく感じられず、「映画」になっていて、おれはいつのまにか当時の、「あるいは<世界革命戦争>が実現するのかもしれない」という浮揚感を感じている自分に気づく。この映画のガイドブック(朝日新聞出版。今日早速買って読んだ)に、雨宮処凛が寄稿しているのだが、その一節がこの浮揚感を的確に表現している。-「本気で革命が起こせる。そう思った。あさま山荘に至るまでに、だ。初めてそう確信した。世界は信じられないほど激動し、「世界同時革命」はすぐそこに迫っているように見えた。うんと手を伸ばせば、届きそうなギリギリの距離に。若者たちはそうして「世界」を掴みかける。早く。早く。早く。乗り遅れてはいけないようなはやる気持ち。現実に敵は目の前にいて、「弾圧」はより激しくなっていく。そうして山にこもってからはご存知の通り、陰惨な物語が始まる」。
映画の中盤は、この「陰惨な物語」が、丁寧に、執拗に描かれることになる。その執拗な描写は、当事者たちが味わったであろう陰惨で重苦しい時間を描くのには、必要不可欠な長さなのだろう。直視に耐えない、いたたまれない場面を、それでも観続けているうちに、おれは胸元にいやな汗をびっしょりとかいていた。そして、最後、いよいよあさま山荘の場面に移行し、映画はにわかに明るい調子をとりもどす。もちろん、その明るさは、ほとんどやけっぱちの明るさのようなものでしかない。しかし、そこには、すくなくとも「自分たちはいま敵=権力に銃を向けているのだ」という解放感がある。「総括要求」という、ひたすら内に向いていたベクトルが、初めて「本当の敵」に向けられているという解放感。
若松孝二は、原田眞人監督『突入せよ!あさま山荘事件』を観て、「表現者は権力の側の視点に立ってはならない」と腹を立て、その怒りがこの映画を撮る直接の動機になった、と語っている。『実録』では、『突入せよ!』と真逆に、あさま山荘での場面を、あくまでも立てこもった人間の視点のみから描いている。放水車による放水の場面も、最後、鉄球による山荘の破壊の場面も、すべて、室内の視点が外されることはない。観ている側は、攻められるその威力をまざまざと体感することになる。
3時間10分という長大な尺が、しかしまったく長くは感じられない。むしろ、けっこう端折られてるような感じすら残った。

あさま山荘事件がテレビで実況放映されたのは、1972年2月。おれは1967年4月の生まれだから、当時はまだ4歳。リアルタイムの記憶はまったくない。おれにとってあさま山荘事件は同時代の事件ではなく、最初から「歴史的な事件」でしかなかった。ホロコーストやベトナム戦争といった「現代史」に同列に並んだ一場面でしかなかったわけだ。
ただ、おれは笠井潔という、この事件を自らの思想的課題として真っ向から取り組んだ作家に、一時期どっぷりと傾倒したことがあり、たとえば『テロルの現象学』といった評論や、ミステリの形をとった「矢吹駆シリーズ」を読むことを通して、あさま山荘事件がはらむ思想的な課題を自らに引きつけて受け取り得たのだった。笠井は、新左翼の運動にかぎらず、いわゆる革命運動というものが必然的にはらんでしまう「陥穽」を論じ、しかしそれでもやはりその運動のなかに見いだされる「可能性」を論じていた。その論考は、「観念」という概念を用い、「観念」は“転倒”して人を縛りもするし、“集合”することで人を祝祭的な場へ開いていく可能性も持っている、という構成がとられている(この“集合”というのは、笠井の論を読んでいないと分かりにくい言葉かもしれない。“集合観念”とは、バタイユのいう“非知の知”というのに近い、複数の矛盾した観念が矛盾したまま集合したある沸騰状態を表す言葉のように思う)。
笠井は、あさま山荘事件を、指導者であった森や永田の人間的な未熟さから起こったものだとするような、事件を個別・特殊なものだとする論点を退け(笠井は、栗本慎一郎との対話で、栗本が「遠山が殺されたのはようするに永田がブスだったからでしょ」と言うのに対し、「いや、それもあるでしょうが、でもすべてのブスが永田になるわけではない(笑)」と答えている)、それはすべての「運動」に起こりうる必然的な陥穽なのだと論証している。しかし、それは、「だから革命運動などには意味がない」という結論を導くためではなく、「それでも革命運動が肯定されるとするならどんなポイントにおいてなのか」を探求するために論じられている。笠井による“いったんの”結論は、革命運動は、「よりよき社会を創出する」という理念においては必ず敗北し、しかしそこに一瞬祝祭的な場を創造するということにおいて肯定されるべきものである、ということになるだろうか。

今日は、「熱冷めやらず」で、ジュンク堂でガイドブック、若松孝二のインタビュー『時効なし』(ワイズ出版)を買い、喫茶店でガイドブックに一通り目を通し、『時効なし』を100ページ読んだ。さらに、ぶらっと立ち寄ったサウンドベイで、ジム・オルークによる『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』サウンドトラックが中古で落ちているのを発見、即購入した。
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by daiouika1967 | 2009-04-24 10:48 | 日記  

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