10月3日 土 曇りのち晴

朝はまだすこし曇っていたけれど、午後になって急速に雲が散り、晴天になる。一週間ぶりのぴーかん。風が爽快。めっきり秋だ。

先週はほとんど本を読まなかった。昨日くらいから活字に飢えていて、思わず三省堂で新刊書を三冊衝動買いする。茂木健一郎『あなたにもわかる相対性理論』(PHPサイエンス・ワールド新書)、植島啓司・九鬼家隆・田中利典『熊野 神と仏』(原書房)、菊地成孔・大谷能生『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)。合計4500円。
PHPサイエンス・ワールド新書の第一回配本の著者は、茂木健一郎のほかに、養老孟司、日高敏高、池田清彦、志賀浩二。全部買ってもいいような面子である。

とりあえず茂木健一郎『あなたにもわかる相対性理論』(PHPサイエンス・ワールド新書)を読む。アインシュタインの業績、そしてその驚嘆すべき業績を残したアインシュタインという人間の精神のありようについて、とてもわかりやすく、また熱っぽく語られた語りおろしである。

天才は、現実を越えた真理のヴィジョンを、現実よりずっと強く把捉する。そのため、彼や彼女にとっては、現実の個々の物事は取るに足らない些事の連鎖に過ぎず、そのヴィジョンに形を与えることだけに価値を感じるようになる。彼や彼女は、しばしば俗世の価値観を否定しているように見えるが、そうではなく、それらは否定に値するものとすら感じられていない。
―「アインシュタインはよくヴァイオリンを弾きながら考えていたと言う。そのように、音や行動で外からの情報を遮断することで、内側にある情報に目を向け、整理し、ひらめきを待つのである。脳の中には、何もしていない時に活動する『デフォルト・ネットワーク』と呼ばれる回路があることがわかっている。特に何かをするというわけでもなく、ぼんやりとものを考える時に、デフォルト・ネットワークが働き、うまく『ひらめき』の種を拾うことができるのである。
目に見えないものを頭の中に描き、内からの情報を大切にする。そこにはインターネットに頼っていては絶対に経験できないほどの豊かな世界が広がっている。」

たまたま同日に読んだ内田樹のブログでも、この「デフォルト・ネットワーク」の考えに類することが書いてあった。内田樹は、「こびとさん」と、“それ”を名指している。“それ”は、例えば、栗本慎一郎―マイケル・ポランニーが“暗黙知”と名指したものと同じものを指している。
―「真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずのないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。だから、自分でだって「ぎくり」とするはずなのである。何でわかっちゃうんだろう。そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。私たちは自分の知らないことを知っている。自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。私たちが「問題」として意識するのは、その解き方が「なんとなくわかるような気がする」ものだけである。なぜ、解いてもいないのに、「解けそうな気がする」のか。それは解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。
そういう「こびとさん」的なものが「いる」と思っている人と思っていない人がいる。「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。「こびとさん」が餓死してしまったのである。知的な人が陥る「スランプ」の多くは「こびとさんの死」のことである。「こびとさん」へのフィードを忘れたことで、「自分の手持ちのものしか手元にない」状態に置き去りにされることがスランプである。スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。「自分にできること」はいつだってできる。そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。
私が基礎ゼミの学生たちに「自分の知性に対して敬意をもつ」と言ったときに言いたかったのは、君たちの知性の活動を見えないところで下支えしてくれているこの「こびとさん」たちへの気遣いを忘れずに、ということであった。」


最後、茂木自身の探求するクオリアについて語られている箇所を、引用しておく。
―「さらに私は、脳科学においても、相対性理論における『E=mc2』のような数式が成立するのではないかと考えている。
エネルギー『E』の代わりに、クオリアの『Q』が入る。『Q=』のあとに何が入るのかに強い関心がある。それまでまったく別物と考えられていた質量とエネルギーが等価であったように、クオリアと何かが等価なのではないかと考えている。
私たちは、人間の体や脳を特別な存在のように考えがちだが、ともに物質でできており、自然法則に従うという意味では、空気や土、草や鳥と同じだ。宇宙の中の万物と何ら変わることはない。
すなわち、心も自然現象の一部であり、自然法則の記述の対象となると思っている。だとすれば、アインシュタインが宇宙の法則を簡潔な言葉と数式で描き出したのと同じように、脳や心についても簡潔な言葉や数式で描き出すことができるのではないだろうか。
アインシュタインの理論が私たちに与える感銘は、まさにその認識論と存在論が交錯する場所にある。心と脳の関係という人類に残された第一級の謎を解く鍵は、かつてアインシュタインがやったように、私たちがごく当たり前だと思っている認識上の前提を問い直すことの中にあるのだろう。」

活字への飢えがスウーッと癒され、鬱っぽかった気分が、軽い攻撃性をはらんだ軽躁状態に回復した。

今日はお彼岸。夜は満月がきれいだった。

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by daiouika1967 | 2009-10-05 22:24 | 日記  

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