11.28 土 曇

■寒いのに顔が火照ったり、汗ばんだ後急に寒くなったり、悪寒がしたり、激しい眠気に血の気が引いたり、体調が狂っている。風邪気味かもしれない。

■そんな体調だが、青木淳悟『このあいだ東京でね』(新潮社)を読む。青木淳悟なんて続けて読んじゃったから、今日こんなふうに眩暈がするんじゃないか、とすこしだけ思って、すぐに「そんなわけないけど」と思い直す。

「青木淳悟 このあいだ東京でね」とググってみると、こうした「物語から離れた場所で書かれた小説」は、「世界への新しい認識や、知られざる感覚や感情を教えてくれる可能性」をもつ、この小説集でもそんな「物語によりそわずに小説を成立させようとする意志と方法意識は徹底して貫かれ、そのことが、いままで知られなかった都市の風景の開示を可能に」している、と、例えば奥泉光による簡潔な書評が見つかる。

「物語から離れた場所」に立つ、ということが、じつはなかなか難しい。人は普段無意識のうちに“物語のなかで”、あるいは“物語を紡ぎながら”日々を過ごしている。いや、“物語の綻びを胡麻化しつつ、辻褄を合せるのに汲々として、ついには物語が破たんする不安におびえながら”日々を過ごしている、といった方がより実情に即しているかもしれないが、ともあれ、“人が日々を過ごす”、つまり、“何気ない日常を経験する”ということは、なんらかの形で“物語”と関わりあうことを離れてはありえない。
「物語から離れた場所に立つ」というのは、だから、その“人の普通の在りよう”に抗して、ある緊張をはらんだ“作品”を通してしか実現しない。
青木淳悟の“どこかから引っ張ってきたような”文章で開示されるのは、“誰にも経験されたことのない凡庸な街”という、逆説的な形容がぴったりくるような、奇妙な作品世界である。

そういえば、古谷利裕の「偽日記」にも、青木淳悟のこの小説のことが書かれていたな、と、「青木淳悟 このあいだ東京でね 偽日記」とググってみる。あった、あった。そこには、「金曜の《深夜にタクシーで帰宅する》《「第一線で働く」勤め人》」が、「磯崎憲一郎の「終の住処」の主人公である《彼》とが重なってみえて」しまう、と書かれてあって、磯崎憲一郎の「終の住処」はまだ読んでいないから、共感はできないのだが、青木淳悟の小説のなかに登場する人物が、そのように別の「作品」という「外部」と響きあってしまうというのは、いかにもありそうなことだとは感じた。

■そんな体調なのに、<ジュンク堂>と<三省堂>を巡回する。名駅の地下にある<三省堂>は、地下にあるせいか空気が悪く、暖房の暖気がこもっていて、よけいに気分が悪くなった。
<ジュンク堂>で、『思想地図vol.4 -特集:想像力』(NHKブックス)、松岡正剛『日本流』(ちくま学芸文庫)を買う。<三省堂>で、中川いさみ『谷底ライオン』(イーストプレス)、逆柱いみり『空の巻き貝』(青林工藝舎)を買う。

■途中、急激な眠気にうつらうつらしながら、中川いさみ『谷底ライオン』を読む。
ライオンは千尋の谷に我が子を突き落とし、這い上がってきた子のみを育てるという。で、これは、這い上がれなかったライオンの「谷底」を舞台とした物語。
この設定に、表紙の絵を見て、つい買ってしまった。

■つづけて、逆柱いみり『空の巻き貝』を読む。
解説を町田康が書いている。「行って、帰る。」という解説の意味が、もはや頭が吐き気と眠気で混沌としていて、よく意味がつかめない。故郷喪失者にとっての“故郷”、“帰る場所”、“日常”、……逆柱いみりの絵が、異郷的であるにも関わらずなんとも言えない懐かしさに満ちているのは、……と、途中まで考えて、そのまま朦朧としてしまう。
そんな状態でも、逆柱いみりの絵は、すべて奇妙に懐かしく、快楽的で、絵や字を追うのが辛い状態なのに、最後まで読み切ったのだった。
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by daiouika1967 | 2009-11-30 18:04 | 日記  

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