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12.11 木 曇

■そんなわけでツイッターである。
レスにも書いたが、言葉の出し方としては、メッセをやっているのに近い。メッセは、「無為無意味なおしゃべり」のためのツールで、おれたちはメッセによって、場所の制約なく、沖縄と東京と名古屋で「おしゃべり」を楽しむことができるようになった。ツイッターを使えば、場所の制約だけでなく、時間の制約もなく、「無為無意味なおしゃべり」ができるようになる。いや、「おしゃべり」というのは違うかもしれない。「おしゃべり」は、具体的な誰かとするものだが、ツイッターで発する「つぶやき」は、そのような「具体的な相手」を、必ずしも想定したものではない。それは、「おしゃべり」未然の独り言であり、頭の中に浮かぶ泡のような思いつきを、ただ思いついたままのレアな状態で、とりあえず放っておけばいい。
しかし、「独り言」だからといっても、つぶやいた言葉が、知らない誰かに届く可能性は、つねにある。何日も前の、何ヶ月も前の、何の重要性もない、場合によっては意味すら希薄なつぶやきが、誰かに読まれる(かもしれない)言葉として、蓄積されていく。
もちろん、それを読むのが、「自分」であってもかまわないわけだ。たいした意味のないその場の思いつきや、ちょっとした感情や感覚のゆらめきのようなものなど、普通ならそのまま忘れ去られるだけの些事が、ツイッターのログに記録されていく。その記録を読めば、ああ、あの日、あの時間、おれはこんなことを見聞きして、こんなことを感じていたんだな、ということが、日記を読むより生々しく思い出すことができるようになる。だからどうだというんだといわれれば、べつにどうということはないというしかないが、いやちょっと興味深いではないか。
それから、フォローしたり、されたりするのに、いちいち相手にことわりをいれたり、挨拶する必要がないのもいい。SNSなどの場合、下手をすると、リアルの世界がそうであるのと同じ人間関係の網の目に絡め取られてしまう不自由さがある。

by daiouika1967 | 2009-12-12 00:16 | 日記  

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