7月13日 終日弱い雨

目を瞑るとそのまままた意識が混濁していくのだが、そのまま気持ちのいい眠りに落ちていくような心地ではなく、不快、朝から疲れている。なかなか起きられないでいると、妻が隣に寝転んでコンデジで撮った猫二匹が絡み合う写真を順次見せてくれた。おれの目を覚まそうとしてるのだろうが、べつに眠気が醒めないわけではなく、疲れが凝って意識の焦点が合わないだけなのである。しかし、せっかくの思いやりなので、目が覚めてきたことにして、起床。朝食にヨーグルトをかけたキウイ、バナナ。

8時には家を出て、いつもの喫茶店で吉永良正『ひらめきはどこから来るのか』(草思社)を読み継ぐ。読了。
≪考える力は本来、サブルーティン化や階層化による思考の短縮や、真偽の弁別に対する直観の洗練化をもたらすものだ。それが精神の弁証法であろう。ところがこの弁証法がうまく働かなくなると、質的な発展が阻害されて量的な強度のみを強いられることになる。うつ病者のルーティンワーク的な「ぐるぐる思考」や、精神病者の歯止めを失った妄想の自己増殖は、まさにそうした純粋な強度の独演劇ともいえる。≫
≪うつ病者の病前性格をみると、単極性(うつのみが現れるタイプ)では「几帳面、秩序を重んじる、ていねい、人に気をつかう」という特徴があり、双極性(うつと躁が交代するタイプ)では「活動的、ひょうきん、社交的、世話好き」などの傾向が強い。どちらにしても社会生活への適応のために形成された性格だが、慢性的ストレスにさらされると几帳面や活動的というパターンに「行き過ぎ」が生じ、そのために疲れてしまってうつ病を発症すると考えられる。
だが、似たような性格の人は多いのに、なぜうつ病者だけが「行き過ぎ」てしまうのか。そこでもう一歩深いレベルまで病前性格に踏み込んでみると、単極性によ双極性にせよ、うつ病者のリアルな生活感覚の基本には「柔軟性のなさ」「気持ちの切り替えに非常に時間がかかる」という特徴が見出される。それは結局のところ、「物事の重みづけができないこと(どれが重要で、どれがそうでないかを判断するのが苦手)」、「あるネガティブな感情がいつまでも残ること」の二つの問題点に根ざすことのように思われる、と氏は言う。
ここが野村氏の仮説の核心だが、「重みづけができない」「感情がいつまでも残る」といったうつ病の中心的な問題点は、「神経機能の弱点」と9でもいうべき生来性のものあろう、と氏は推測する。そしてうつ病者に特徴的な病前性格は、このような「弱点」を補うために子供のときから長年にわたって無意識のうちに形成されてきた適応パターンとして解釈される。≫


読んでいるうちに、読みながら聴いていた安藤裕子の音楽がクリアな音像になってきた。感覚の軸が整ってきたのだろう、と感じる。
それでもやはりなんとなく調子が出ない。午前、午後と、たんたんと仕事をこなしたのだが、夕方、クライアントの処に行き、仕事の打ち合わせの後、自分の経歴について、誇張した自慢めいたブラフをたらたらと垂れ流してしまった。余計な蛇足に自分自身、不毛感、消耗感を覚える。

帰り道、CDショップに寄り、相対性理論『シフォン主義』『ハイファイ新書』、ビューティフル・ハミング・バード『呼吸』を買う。
先週『シンクロニシティーン』『アワー・ミュージック』を買ってから、もうどっぷり相対性理論漬になっている。
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by daiouika1967 | 2010-07-13 23:53 | 日記  

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