5月23日(月) 雨

片山杜秀『ゴジラと日の丸 -片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全』(文藝春秋)を読みはじめる。『週刊SPA!』に1994年から2002年まで連載されたコラムを集めた単行本で、刊行は連載終了後8年が経った2010年。

グリップの効いたコラムは、取り上げられた話題が古くなった後も、その文章がアクチュアリティを失うことはなく、どの時代の読者にも届く。現在の時点から、例えばオウム事件や文殊の原発事故について書かれた文章を読んでいると、それらの事件は人びとの間で話題に上ることが少なくなっただけのことで、現在に至るまでけっして“終わって”はいないことがよく分かる。
一度起こったことはけっして“終わらない”。ただ忘れられるだけだ。“歴史が続く”とはそういうことである。だから、現在をよく見るには、“終わっていない過去”を、何度も掘り起こさなければならない。

「あとがき」で、著者は、この連載が続いていた自身の30代の生活について、こんなふうに書いている。
≪当時のぼくは、大学院の学生で、日本の右翼の政治思想を研究テーマにしていたが、学校には最低限しか顔を出さず、毎日にように、映画館と芝居小屋とコンサートホールと中古レコード屋と古本屋をうろうろしては、コンサートや芝居が終わると同好の士と呑んだくれるか、週末にはさらにしつこく映画館のオールナイトに入り浸って朝一番の地下鉄でねぐらに舞い戻る暮らしだった。特に昔の日本映画、クラシック音楽、歌舞伎や文楽や能、新劇、小劇場系の一部にはこだわっていた。≫

過去は膨大に積み重なり、“よくわからない現在”に繋がっている。
そこから何を話題に取り上げ、どんな切断面を切り出してみせることができるかは、その人の教養とセンスによる。
片山杜秀という人は、しっかりとコクのある教養を身に備え、それらを巧みに切り取ってみせるセンスも持ち合わせているようだ。
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by daiouika1967 | 2011-05-23 23:52 | 日記  

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