6月18日(土) 雨

終日どんよりとした曇り空。名古屋駅のツインタワーの高層階が靄で見えなくなっている。雨降ったりやんだり。

午後、『前田愛対話集成Ⅰ 闇なる明治を求めて』(みすず書房)を読む。

夕方、妻と名駅で落ちあい、高島屋のデパ地下で<paopao>の肉まんと焼売、<たねや>の塩豆大福とドラ焼きを買って帰る。名駅から家まで、雨のなかを傘をさして歩いた。

夜はテレビ。何年かぶりにドラマを見る。土曜ワイド劇場。仲村トオルが主演の二時間ドラマ版和製ハードボイルド。

山田風太郎の明治物をめぐって(×上野昂志)。
『幻燈煉瓦街』。明治、銀座に「煉瓦街」が出来た頃のこと。
≪せっかく煉瓦街はできたけれどもなかなか借り手がつかなくて、一時は熊の見世物とかそういう怪しげなものがたくさんできあがって、それから辻に立って客を引く女がうようよしていたなんていうのは、これはもう間違いなく本当ですね。(前田)≫
明治維新の「古さ」と「新しさ」の二重性を象徴する役所、「弾正台」。
≪興味惹かれるのは、明治維新というものが非常に開明的なところと、それから非常に保守的なところですね。ですから文明開化と王政復古というふたつの側面をもっていた。そしてこの弾正台は、まさにその王政復古の古いところを象徴するような役所であったにちがいないのですが、ただこの『明治断頭台』では、そういう弾正台そのものをいわば明治維新のそういう古さと新しさの二重性として描き出している。(前田)≫

馬琴をめぐって(×川村二郎)。
≪自由民権運動はだいたい関東の周辺というのか、絹の生産地帯で起こる。群馬事件であるとか秩父事件であるか。つまり自由民権運動のウルタイプというものがすでに『八犬伝』の中で予告されている。そういう不思議さというのはやはり『八犬伝』を考える場合に大事なポイントだと思うのですね。
先ほど川村さんは透谷を嫌いだとおっしゃったけれども、透谷は神奈川県あるいは埼玉あたりを放浪しているときに、八犬士の誰かに自分をなぞらえて、そういう遊侠の意識をもっていたと思うのです。というのは、これはほんとに仮説も仮説だけど、透谷は腕にザクロの刺青があったというのですね。そのザクロの刺青からぼくは連想するのは『八犬伝』の犬士たちが牡丹の痣をもっていたことです。
ですからぼくは、透谷の「処女の純潔を論ず」とかに出ている八犬伝論は観念的なものじゃなくて、彼の自由民権運動時代の体験が、ひとつの基盤になっているのじゃないかというふうにも思うんです。(前田)≫


「世界と均衡する言語空間」-種村季弘との対話。
≪バルザックの小説のはじめにおそろしく長々と壁の描写をしたり、家具、室内の描写をしますね。建物の外側の蔦の絡み方がどうのこうのと描写する。そういう小さな細部にこだわるトリヴィアリズムがなければ迷路的な構成ができないわけですね。キリスト教中世のようなはっきりしたハイアラーキーのある世界ならば、天上・地上・地獄という三界の構造が明確に分岐していますから、ダンテならこの秩序にしたがって世界を構造化できた。しかしもう開かれてしまったブルジョワ社会では道傍に落ちているひとつの石ころで世界の平衡をとる、あるいはドストエフスキーのように自分の虫歯の痛みから世界没落なり終末なりを対極で天秤にかける。非常に小さい物と極大的なコスモスとを対応させなければ中間の世界であるわれわれの世界さえもつかめないわけですね。(種村)≫

「悪女」、高橋お伝伝説をめぐって、野口武彦との対話。
≪近代という時代のなかで欲望が肥大しておしとどめようもなくなった女というのが出現する。当時の人間がそれを感じていて、お伝という、そうたいしたことをやっていない、ちょっと悪いことをしただけの女に全部、恐怖の感情をおしかぶせるかたちで「お伝」像をつくってしまったんではないのかと思うのです。性的にどす黒いところまでお伝をつくることで、一緒に落ちてみたい民衆の願望が投影されたのではないか。
その反面、お伝を処罰することでそうしたどす黒い欲望を安全に封じ込めてしまう世界をつくっていくという選択をしたと思います。それと見合うかたちで同じ上州出身の塩原多助の向日的な立身出世譚がつくられるわけですね。(野口)≫


明治の初め。展開することなく窄んでしまった様々な文芸の可能性-例えば政治小説の可能性をめぐって(×尾崎秀樹)。
≪中国の場合、『水滸伝』は講釈からだんだん発展していって、書斎人が小説に書くんですが、そういう小説の発生が政治小説の場合にも可能性としてありえたと思うんです。しかし、それは明治二十年を境にしてちょん切れてしまう。(前田)≫
≪幕末からの開港で、絹と茶のふたつが日本の輸出品目のトップを占めるわけですが、自由民権運動を考える場合、絹の問題はかなり重く見なければいけないと思います。このごろ、日本のシルクロードということをさかんにいうようになりましたね。(中略)
横浜から鑓水峠を通って甲州と上州に分かれていくシルクロードを考えることは重要ですね。仮名垣魯文の『高橋阿伝夜刃譚』でお伝の足跡をたどっていきますと、絹の道を逆に上州から横浜へと出てくる。あのルートには絹や茶の情報がたくさん浮遊している。それをうまく操作することで何とか生きていこうという女性だったんじゃないか。高橋お伝の生まれたところは塩原多助の生まれたところのそばですね。多助は順調に出世するけれども、お伝は女ひとりで都会へ出て何とか成功しようと思うんだが、結局失敗してああいう……。日本のシルクロードと自由民権運動とをもっとうまく考えられないかと思うんですが、まだぼく自身あまりはっきりしたことが言えないんです。(前田)≫
≪やはり、明治二十年(1887年)の屈折は非常に大きいと思いますね。それはたとえば外国の場合にどういうアナロジーで考えるかというと、1848年にはフランスの二月革命がある。その前にはヴィクトル・ユゴーだとかジョルジュ・サンドもかなり社会主義に傾斜している。しかし、社会変革と結びついたロマン主義が二月革命で挫折して、そこから出てくるのがフロベールです。フロベールは『感情教育』(1869年)で、革命後の駄目になった青年たちを書いている。これは本当にアナロジーなんですね。明治二十年はフロベールが『感情教育』で書いたような青年がごろごろしていた時代だと考えるんです。二葉亭もそのひとりだったろうし、透谷もやはりそういう駄目になった青年として、明治二十年という時期を過ごしたんじゃないかと思います。(前田)≫


明治の最初の十年間。カオスのディケイド。退廃と可能性。余韻と予感。橋川文三との対話。
≪とにかく、明治十年までは政治的にも混沌が続いており、社会、風俗、人間の生活様式を含めて、われわれには何かぴたっととらえ切れない。つまりあまりにも猥雑であり、低俗であり、愚劣であり、あるいはむしろ醜態であるという感じが伴うくらいの人間の生活表現、思想表現、文学表現、すべてがそういったマイナスの姿でしか浮かんでこない。しかし、反面、さっき言ったようなある混沌としたエネルギーがたたえられている。そういう二重性のイメージが浮かぶんです。
だから、文学史なら文学史の既成のワクに上手におさめようとしてあの時代を考えるんじゃなくて、それまでの三百年のあいだにできあがっていた日本人の自己表現の様式が、あそこで急に陥没してしまったため、自己表現の新しい道も発見されないままに、惰性的な表現様式だけが続いている。しかし、それとは違った表現への指向ももちろん現れておる。過渡期といえば簡単ですが、どういったらいいんでしょうね……。(橋川)≫
≪辺境と中央の一種の立場の交替という観点はたしかに必要でしょうね。この時代の表現の混乱、衰退、あるいは退廃と、反面の進化の背景として、それがたしかにひとつあると思います。(橋川)
成島柳北が『柳橋新誌』のなかで、明治になってから柳橋でのやりとりの作法が大変に変わったと言っているんです。つまり、杯をキャッチボールのように、ぽんと相手に投げ、受け取る、そういう作法に変わった。これはあるいは顔に当て傷つけるかもしれないから、杯のやりとりはやはり元のままのほうがよろしい。そう言っているんです。杯のやりとりの作法はやはりひとつの文化の型だと思うんですが、長州の田舎武士は維新の殺伐とした空気を経ていますから、そういう新法を発明するわけです。この作法はずっと後でも残るらしく、鴎外の『イタ・セクスアリス』(1909年)に、卒業の懇親会でみんなが杯を放ったと書いてある。これはひとつの小さな風景ですが、大変典型的だという気がしているんです。(前田)≫
≪明治十年までにほぼその基礎を置いてきた明治国家が、その後百年の間に展開するであろう国家の様相、それと違う原理を、石川啄木や宮沢賢治は抱いていたから、ああいう文学や詩が生まれてくる。明治国家がつくり出した日本ではない違った世界に所属していたから、ああいう作品が生まれてきている。突飛ですけれども、啄木とか賢治にまで、西南戦争の影が何かの形で残ってはいないか、そんな感じがするんです。明治十年代でだいたいその後の日本のコースがしまって、それ以前にあったいくつかの可能性としてのコースは全部排除されて、ただひとつのコースだけが残った。そのコースに乗っかってしまったのが明治文化であり、大正、昭和の文化になるわけですけれども、そうではない、もっとどろどろした混沌とした可能性のほうに根をおろしているのが、東北のカルチャー一般であり、そのなかに啄木とか賢治とか、斉藤茂吉までここに入れるのはどうかとは思うんですが、そういう人物がおる。つまり、西南戦争を押し潰した勢力がそのまま日本をつくります。しかし、そうではない可能性がいまでもあるんだということを表現する姿勢を、あれら東北の文学者、あるいは思想家たちに感じたくなるということなんです。(橋川)≫


藤村の視線と文体について(×杉山康彦・篠田浩一郎・針生一郎)。
≪藤村という人は、じつにいろいろな可能性を持っていた人で、それを慎重にひとつひとつ切り捨てることで作家的に成熟した人だと思います。たとえば『旧主人』(1902)などを読みますと、藤村はずいぶん明治という社会のありようがわかっていた人のような気がします。『旧主人』の最後に有名な姦通場面がありますけど、奥さんと姦通の相手の歯医者が抱き合っているところへ、奥さんに復讐をもくろむ女中がしめし合わせておいたとおりに、主人を現場に立ちあわせる。それからその奥さんのお父さん、その三人で現場を覘くわけです。荷風の小説には『夏姿』(1915)など覘きの要素がたくさんありますが、『旧主人』の覘きは全然異質だろうと思うんです。どういうことかというと、三人の目が覘いている。そして外では天皇陛下万歳!天皇陛下万歳!の声が聞こえてくる。姦通罪という刑法の罪を必要とした家族国家の擬制、その頂点には大日本帝国憲法があるわけですけど、そういう明治国家の構造が夫と父親と女中の三人の視線で射すくめられ、天皇陛下万歳の声でとりかこまれる奥さんというかたちで、表現されているのではないか。そういうかたちを文学的形象として、しっかり書きこんだ小説というのはあまりないんじゃないかと思います。(前田)≫

鏡花。×山口昌男。
≪鏡花のエッセイのひとつで、千駄木町の付近は当時は木が相当多かったらしくて、千駄木町から白山はぼくもむかし住んでいたことがあるけれども、あの辺だって木が多くて日がろくにあたらないから、うっかりすると安心できないよ、という表現がある。ですから鏡花自身は、東京のなかにそういった異空間を読み込もうというふうな姿勢をもっていたのじゃないか。近代化しようとする東京に対して、時間軸を遡らせるきっかけはいたるところにあるんだということを示そうとしたということがいえるのではないかと思うのです。(山口)≫

荷風。×磯田浩一郎。
≪荷風の東京の風景の見方は、たとえば、広重の『名所江戸百景』(1856-58)や、小林清親の『東京名所図』(1876-81)を眼鏡にして見ているところが多分にあると思います。これは前にちょっと書いたこともありますけれど、『すみだ川』の冒頭に、長吉とお糸が今戸橋で逢引をするところがあります。向こう側、隅田川の対岸に月が上がってくるという、まあ、なかなかいい場面だけれど、あの図柄はそっくりそのまま、小林清親の「今戸橋茶亭の月夜」で、清親の絵もやはり、今戸橋のこちら側から隅田川の対岸に月が上がってくる情景を描いています。荷風はあの場面を光と影とをじつに巧みに使ってあらわしましたけれど、これも小林清親の光線画の効果に非常によく似ています。清親の図をよく見ると、橋の上にふたりの影法師が見えるんです。ですから、ぼくは『すみだ川』のあの冒頭の、ふあtりの逢引の場面は意識的に清親の構図を取り入れてると思うんです。『日和下駄』にしてもその構図の切り取り方は広重だの清親だのの構図であって、けっして荷風のオリジナルな眼で見ているのではない、といえると思います。(前田)≫
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by daiouika1967 | 2011-06-19 17:27 | 日記  

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