7/22 金

まだすこし咳が出るがただ胸で破裂するような痛みは無くなった。鼻水が出る。いつも風邪が治りかける頃、鼻の下が爛れたようになるのだが、今度もそうなった。
午前中。久しぶりにマスターベーションすると、久しぶりだったのですごく気持ちがよかった。ただ精神的には何を妄想してもぜんぜん興奮しない。ネットで適当なエロ動画をさがすが、けっきょく興奮はしないまま、ただ生理的には気持ちのいい射精。
午後。サウナ。サウナルームで熱せられた後の冷水が、これも、ものもすごく気持ちがいい。今日は快楽的な日だな、と思う。風呂につかるのも気持ちがいい。風呂につかりながら、「今日は死ぬのにもってこいの日だ」というインディアンの諺(?)を思い出す。
昔読んだユングの本で、その本がどういう本で、じっさいに何が書かれていたのかは覚えていないが、「自己の相対化が完成すれば、生きている理由がなくなり、自然に死ぬことができる」という意味のことが書かれてあった一節があった。それを思い出す。
風呂上り、4時過ぎに遅い昼食を食べる。うな重とレバニラ炒め。空腹だったので、これもとても美味しく感じた。

午前中、福田和也『怪物伝』(ハルキ文庫)を読む。一息で読了。夕方、西谷修+鵜飼哲+港千尋『原理主義とは何か』(河出書房新社)を読む。一息で読了。
『原理主義とは何か』は、1995年-1996に行なわれた3人の鼎談。
ルワンダやボスニアで起きていることが、同時に、例えば日本ではオウム事件のようなものとして起こる。東西の「壁」があったときは、その「壁」との距離を測ることで、空間が計測できていたが、それがなくなり、新しいトポロジーが現出した。hereとthereの区別がない、テレポート的空間、いわば、開かれた閉塞空間だ。以下、このトポロジーを描写するパラグラフを3つ、引用する。
≪我々がこれまで自明だと思っていた境界が全部崩れている。そこにはテクノロジーの進化によって不可避的に進行する人間の生存条件や世界の関係性の変化が、根本から作用しています。さっき「宗教的なもの」と言ったけれども、それはいわゆる宗教の領域にとどまる問題じゃない。いま言ったような変容のプロセスすべてに関わっているんですね。だから宗教の問題も、いわゆる宗教の問題として考えるのではなくて、ある総合的なものをとりあえず「宗教」という枠ですくうという形で、考えなければいけないんじゃないかと思うんです。≫
≪ともかく個体発生のレベルでも、社会的なレベルでも、個の輪郭が消えてアイデンティティが立たないというような状況になっているわけです。非合法化とかマフィア化というのもそのことと連動していて、いわゆる市民社会を支える構成連関だった社会的地位とか、出生とか身元とかの関連付けが問えなくなるような状況でしょう。だから生理学的なレベルから個々の人間の意識そして社会的なレベルにいたるまで、パラレルな形でこの流動化が表れてきている。誰が私なのか。人間はどこから生まれて、どこに行くのか。どこから始まってどこで終わるのか、あるいは始まりとか終わりとかをまったく別の関係の中に置きなおすのか、そういったことをおそらくもう一度、生理学的次元でも、社会的個の次元でもなく、生命的実存の問題として問い直さなければいけないんじゃないかと思います。≫
≪核のような兵器を使う時に、人間が「全面的に私が責任を負う」という論理は出てこないのではないか。日本が戦争に負けた時に折口が見てとったように、それほどの兵器を扱う戦争は一種の神々の戦いになってしまう。そして最終的には全当事者が自分は「神の正義の代理人である」と主張する構造になるのではないか。そこに核と宗教的な原理主義が結びつく根拠があって、これは冗談で言ってはいけないことだけれども、ヒンズーの核があり、アメリカが持つプロテスタントの核があって、イスラエルの持つユダヤ教の核がある。≫

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by daiouika1967 | 2011-07-24 00:51 | 日記  

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