11月25日

朝、いつもの喫茶店でコーヒー、1時間半の読書。塚原史『記号と反抗 -二十世紀文化論のために』(人文書院)を読む。塚原史の、シュルレアリスムを中心とした、20世紀初頭のアヴァンギャルドをテーマにした文章は、これまでにもいくつか読んでいる。テーマに沿って、人物や現象を横断する、その足取りが好きな書き手のひとりだ。この本は1998年の発行で、1990年代に書かれた文章が纏められている。
目次を引く。
Ⅰ世紀末文化地形図
1.アヴァンギャルドの原風景
 ダダの身体―ツァラとバタイユ
 シュルレアリスムと世紀末
 エクリチュールの彼方へ―シュルレアリスムと「自動既述」
2.三十年代の地理学
 三十年代文学のABC―幻想の共同体の誘惑
 性と聖のはざまで―バタイユとカイヨワ
3.地殻変動のあと
 ボードリヤールとの旅―消費社会と廃墟の風景
 『テル・ケル』と詩的言語の革命の行方
 ボルタンスキーの暗い部屋
 コルセッティの「抽象の部屋」
 荒川修作が来た日―「天命反転」の逆説
Ⅱ世紀の紋章としての写真
 反記号としての写真
 写真の二十世紀/二十世紀の写真


「シュルレアリスムと世紀末」から、一節、引用する。
≪『宣言』の冒頭の一句が断定していたように、彼にとって「現実生活」とは「生の、もっとも仮称的な部分」にほかならなかった。ところが、日常的な時間の経過において、人びとはこの目の前の生を生きること以外の可能性を思いつくことがないから、彼らにとって、それはむしろ生の、もっとも確実な部分なのである。
しかし、何かのきっかけ(この、何かが問題だ)で、現実生活への信頼が失われるとき、そこに生じる奥深い亀裂や激しい断層からは、あの「複数の生の見通し」が突然そうに顔をのぞかせることになる。それはまるで、少年レヴィ=ストロースを感動させた「二つの地層の接線」の彼方に立ちあらわれる太鼓の二つの海洋のように、人間という不可解な地層の深部にひそむ未知の領域を出現させるだろう。
「文学」あるいは「詩」などと呼ばれてきた、言語表現という小さな世界にも、同じ事件が起こることをシュルレアリストたちはもくろんでいたから、彼らはまずこの世界への信頼を失わさせることこそが「複数の生」を蘇生させ、言葉の新しい可能性を引き出すための有効な手段であると信じたのだった。「反文学」というスタイルは、あきらかにこの確信から生じている。≫

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by daiouika1967 | 2011-11-26 08:17 | 日記  

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