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3月3日(月) 晴

10時過ぎ、起床。シャワーを浴びて、さて、今日はとりたてて何の予定もない。いや、どちらかというと、予定がある日の方が少ないのだが。それでも、今日は何の予定もないなと思うと、やはり気分がいい。毎日暇に過ごしているにもかかわらず、暇がとれるといつもウキウキうれしく感じる。前世はよほど忙しかったのだろうか。

朝のPは、眠りに就く前の、穏やかな顔をしている。目の前でねこじゃらしを振ってみても、ぼーっとした顔のまま、こちらの誘いに乗ってこない。膝の上に抱き上げ、指で喉を愛撫すると、喉をゴロゴロさせて眼を瞑り、とても気持ち良さそうな目つきをする。
30分くらいPを撫でてから、昼前に家を出た。

名駅の喫茶店に入り、何件か移動しつつ、後藤典洋・中山康樹・村井康司『ジャズ構造改革』(彩流社)を読んだ。
―「快感を得たいからジャズを聴くわけだけど、快感といってもいろいろあるわけで、、これまで話してきたような音楽的なことだけとは限らないと思うわけです。たとえばオスカー・ピータソンを聴いたときの爽快感ってあるじゃないですか。部屋のなかが勝手に片づいていくみたいな爽快感とか。で、セシル・テイラー聴いたときは、散らかり放題の万年床でね、でもすべてのものに手が届くっていうような快感があるじゃない(爆笑)」(中山康樹)

リチャード・クック『ブルーノート・レコード』の<解説>で、日本ブルーノート代表の行方均が、1950年代のモダン・ジャズを、「急勾配を駆け上がっていた」と評し、そして、「一つの表現が急上昇するとき生まれた作品の持つ力というものは、何時の時代になっても色褪せることがない」と書いている。
この「急上昇する表現」を牽引するのは、何人かの「天才」たちである。たとえばチャーリー・パーカー、マイルス・デイビス、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーンといった「天才」たち。
後藤、中山、村井の3人は、ジャズの世界に、もはやこのような「天才」は生まれないだろうといった認識を共有している。それは個々のプレイヤーの才能の有無といった問題ではない。「天才」の創造力を支えるだけのポテンシャルが、ジャズのなかにはもう存在していないということだ。
中山康樹は、ジャズの歴史はもう終わったと考えるべきだ、と言い切っている。ジャズの新人がデビューし、ジャズの新譜はぞくぞくと発売されるけれど、そのなかに一枚でも、「天才」たちの名盤に比肩しうる盤があるだろうか。
ジャズの歴史はもはや終わっており、だから、ジャズについて書くライターは、凡百の新譜を紹介するのではなく、「何時の時代になっても色褪せない」名盤の“聴き方”を提示することに、その仕事の重心を置くべきなのではないか。
その音楽の魅力の核にある、その演奏者特有の“生理”のようなもの。表現するのが困難なその“生理”を、しかし、なんとか表現することだけが、ジャズについて書くライターが、これから書くべきことなのではないか。
……

3時半頃、読み了えて、それから<ジュンク堂>に行った。香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』(basilico)、大谷昭宏・宮崎学『法か、掟か ―「私」を「国家」に委託しない生き方』(ゴマ文庫)の2冊を買った。
喫茶店に入り、香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』(basilico)を読んだ。「ニューアカと新人類の頃」と題された中沢新一との対談が載っている。まず、その対談から読み始めた。
中沢新一は、当時(70年代末から80年代初頭)をふりかえって、「それまでジャンルごとに領域化・領土化していたいろいろなものが解体して、バーチャルな空間に拡散しながら、再編成され始めていました」と総括する。
たしかにそうだ。あの時代の「いまにすべてが変わる」といった、切迫したような“気分”は、さまざまなものが「脱領域化」し、「バーチャルな空間で再編成」される、その速度のなかで生まれた“気分”だったのである。

対談を読み終え、ついで、最初のページから読んでいった。1970年代末から、1980年代初頭にかけて、当時医学生の香山リカは、松岡正剛の工作舎、それから、山崎春美が編集長をしていた雑誌「ヘブン」編集部を出入りしながら、その周辺にいた人々と関わりをもっていく。ある時は、山崎春美のバンド「タコ」の伝説の“自殺ライブ”(山崎春美が剃刀で自らの体を傷つけるというパフォーマンス)に、“ドクターストップをかける医者”の役割で参加したりもする。
登場する固有名詞を列挙しておこう―松岡正剛、山崎春美、YMO、ロリータ順子、後藤繁雄、野々村文宏、武邑光裕、三田格、太田蛍一、戸川純、上野耕路、佐藤薫、町田町蔵(康)、細川周平、浅田彰、北村昌士、石原恒和、中沢新一、田口賢司、岩井俊雄、……。

夕方。帰りに、高島屋のデパ地下で、鰆の西京焼きを2枚、買って帰った。今日の夕飯である。夜は、テレビを眺めて過ごした。
12時過ぎ、就寝。

by daiouika1967 | 2008-03-04 23:55 | 日記  

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