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6月2日(月) 曇ときどき雨

ようやく心身の調子が回復したようだ。体のなかを、流れるべきものが潤滑に流れているような心地がする。
妻が病院に行くので、7時頃には起きてシャワーを浴びたり化粧をしたり、出支度を始めていた。おれはうつらうつらしながら、夢うつつのなかで、その気配をうっすらと感じていた。妻は病院に月に一度おれの精子を持っていかなくてはならなくて、今日はその日に当たっていた。支度を終えた妻が、おれの精子を吸い取りにベッドにやってきた。今日はしかしおれの調子が悪かった。いくら刺激してもなかなか射精にまで至らない。いくら刺激しても、勃起も不十分なままだ。それでも精神集中して、何とか気合で射精にまでもっていくが、こんなときはもちろん精子量は少ない。
妻が希少な精子が入った容器を鞄に入れ、家を出て行き、おれは、玄関でそれを見送って、そのまま起床した。
朝飯に、サラダとパン、メロンを食し、それからパソコンを起動して、30分ほど仕事をした。ネットを巡回し、スリル・ジョッキーのインタビューDVDを1時間ほど観る。
11時過ぎ、家を出た。喫茶店でコーヒーを飲みながら、一昨日買ったYOSHIO MATIDA『hypernatural#3』を聴いた。鳥の声や海の波の音といった自然音(じっさいにフィールドで録音したらしい)と電子音が織込まれ、その全体に絶妙なリバーヴがかかっている。リバーヴのかかった波の音を聴いていると、まるで夢のなかに出てくる海の傍にいるようで、すこし懐かしいような、不安なような、解放されたような気分になる。
聴きながら、 『戦後文学エッセイ選 島尾敏雄集』を読む。
<ジュンク堂>に行き、以前に出たYMOのBOXセットにおまけで入っていた三人のロングインタビューを新たに纏めた一冊、『YMO』(アスペクト)を手に取った。インタビュアーは名著『電子音楽inジャパン』を書いた田中雄二が務めている。突っ込んだ内容のインタビューが期待できる。買い。ついでにスミザリーンズのブレッド・ミラノが書いた『ビニール・ジャンキーズ -レコード・コレクターという奇妙な人生』(菅野彰子訳 河出書房新社)、なぎら健壱『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫)。3冊買った。
午後、『YMO』を読み始める。高島屋に寄り、ぎょうざを買って帰り、夜飯はぎょうざを食べる。
夜、妻はずっとミシンの前で裁縫、おれは音楽を聞きながら、『YMO』を読み継ぎ、読了した。

『戦後文学エッセイ選 島尾敏雄集』からの引用。

○“ヤポネシア”という“内なる外部”を“発見”することを通して、自らのうちに断絶を導入し、魂を荒らぶらせる、とういこと。例えば中上健次が“発見”した“路地”もまた、小説を書くということにおいて、同じ機能をもっている。

日本国中どこを歩いても、同じような顔付と、ちょっと耳を傾ければすぐ分かってしまうような一本調子の言葉しか、ないということは、すべてのものを停滞させ腐らせてしまわずにはおかない。そこでは鉄面皮なおせっかいと人々をおさえつけることだけが幅をきかす。おそろしく不愉快なひとりよがりと排他根性。違ったものがぶつかり合って、お互いに骨を太くし、豊かな肉をつけるという張合から、われわれは見離されていた。いや沖縄を再発見するまでは。長い間沖縄は薩摩の介在であいまいにされていた。》

《奄美の生活で感じはじめた、本州や九州では味わえなかったものを私はいくつか体験し、それに或る酔いを感じた。ごくわずかのものを具体的にとり出していえば、民謡の旋律や集団の踊りの身のこなし、会釈の仕方とことばの発声法等……の複合の生活のリズムのようなものが私を包みこみそして酔わした。でもそれは異国のそれではなく、本土ではもう見つけることは困難になってしまったとしても、遠くはなれた記憶の中でひとつに結びつくような感応をもっているとしか思えないものだ。
本州や九州において祭やアルコールのたぐいで意識を解放させたときにあらわれてくる、日常の日本とまるで似つかわしくない放散はいったい何だろう。そしてふだんのときに備えているこつんとしたかたい顔付。その二つのもののふしぎな共存が試験管の中でまぜ合わされている状態の中に、奄美を投げ入れると、放散の底にかくされた深層の表情がかたちをあらわし、そしてひとつの考えが私の頭の中に広がりはじめる。もしかしたら、奄美には日本が持っているもうひとつの顔をさぐる手がかりがあるのではないか。頭からおさえつけて浸透するものではなく、足うらの方からはいあがってくる生活の根のようなもの。この島々のあたりは大陸からのうろこに覆われることがうすく、土と海のにおいを残していて、大陸の抑圧を受けることが浅かったのではないか。》

《日本という国は風習も思考もほぼ画一の国と思われた。ほかの国とくらべると、異質なものを内にかかえもつ度合いが、ずっとうすい気がする。北のはしから南のどこへ行っても、人びとから受ける感じは、似たようなものだ。そのどこででも、緊張と戦慄を感じて自分の姿勢や挙措を構えなおす機会にぶつからずにすみ、過去の習慣の上でこころとからだをゆるめていることができる。このことは、純粋についてのなにかを教えてくれたが、なぜかその半面、私には、層のうすさ、手ごたえのなさ、としてはたらきかけてくるものがある。小説を書くときには、いっそう、私の立たされている場所が、自分には強靭なバネの役目を果たしてくれないことに気づかされた。異質なもののぶつかりあいの中で生きのこり骨太になっていく、そういういきさつに欠ける状況は、私をはげます側に立ってはくれなかった。そのことに気づくことはできても、画一の骨のやわらかな環境にとりまかれ育てられた体質から私がのがれることはむずかしい。》

男にとってひとりの女が、恐怖と悦楽のもとであるような関係性。女=神。

《私と子どもらの間には言葉をかわさないでもひとつの共同作戦の態勢ができていて、お母さんがいらいらするようなことはどんなことでも避けて通ろうとこころみる。それは一つの掟のようなものだ。少なくとも私と子どもらは、このことで掟というものの現実の顔付を理解しているようだ。そしてその掟に従っていれば、どんなにみんながしあわせであるかということも知っているのだ。ミホのすることは無条件で、いいことだということが、私の家の中での掟となった。彼女のすることにまちがいはない。もちろん、このことは彼女の加計呂麻島での、あまり例のない(というのは入院中の医師の精神分析のあとでの診断であったが)生長期の生活や、あのふだんの生活を失ってしまった病める日々を含めて、そして私と子どもらとのかかわり合いの中でのすべての均衡のなかで、私たちにとってそうなったということだ。》

《「妻への祈り」という言い方は、言葉として或いは成立しないかも分からない。祈りは妻へではなく、神へでなければならないだろう。私の気持では「妻のための神への祈り」であった。しかし妻は私にとって神のこころみであった。私には神が見えず、妻だけが見えていたと言ってもいい。》

想起すること。すべての事象は断片に過ぎない。ただ、そこに自己が関わっている限り、複数の事象の欠片が、“自己という記憶の場”において響きあい、結びあい、意味をあらわす。そうした想起が起こるまで、宙ぶらりんの自称の欠片をそのままのかたちで持ちこたえ、待つことが大切なのである。あるいは、文学とは、待つための技法でしかないのかもしれない、とも思う。
《なにはさておき、物忘れをしないことだ。目のふちの熱が広がらないうちに、腰を低くして、敵を待つのでなければ、このまっくらな世界をうかがうことはできぬ。しかしそれは絶望ではないから、しんぼう強く待つことだ。待っていれば、わからずに通りすぎたものがわかる機会がやってきて、やみの中で、あとさき、たてよこを結びつけるつながりが、白くにぶい光りを放って意味があらわれる。過去のどれひとつとして、むだはなく、われわれはただ待つことが要求されているのだから待つことを覚えればいい。いつも応じられる姿勢で待っていると記憶がちらちら出没しはじめる。》

○シオランがいう、「この世のすべてにたいする先天的な怖気」のようなもの。……

《怯えは言うまでもなく、継起する事象に恐れおののく心のはたらき、殊に小さな事への恐れに敏感であることの顕著なそれである。つまり臆する心にほかならず、その根をたぐって行けば、気質、体質から生ずる感じ易さに行きつくように思う。感じ易い気質は体質にもその反応を呼び起こし、それによって生じた体質的症状が、さらに気質的な感じを増殖し、からみ合って際限のない泥沼に埋没する。
怯え、もしくは臆する心は、怯えないこと、勇敢なことと向かい合うのではなく、怯えをごまかすことと対峙する。怯えをごまかすことが(ごまかすという言葉が好ましくなければ、克服すると言いかえてもいいが)、勇敢の方につながりあらわれてくる。それは一つの積極的な態度でもあり、広い有効性を持つが、強さを装うという反面の危険を内包している。この強さを装う心のはたらきが、果てしのないにんげんの業をくり返し生じ重ねることに、道を開くように思えて仕方がない。
気質的にお怯えを転化することのできぬ者は、怯えに怯えなければなるまい。彼を解放するのは、怯えをいなすのではなく、怯えに忠実であることにしか求められそうもない。怯えを去らずに見つめること、ふるえながらでもその場を逃げ出さない態度が、怯えの劣等感を捨てさせ、怯えからの開放が達せられたと錯覚することが可能だ。》

by daiouika1967 | 2008-06-04 11:33 | 日記  

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