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6月6日(金) 晴

梅雨の切れ目の晴れ間。風が爽やかで、気持ちのいい天気。
午前中は、パソコンに向かって仕事、ネットの周回、日記つけなどする。昼過ぎに家を出た。
金井美恵子『目白雑録(ひびのあれこれ)』(朝日文庫)を読む。日々の些細な事柄、映画の話、同業者に対する悪口。悪口の標的としては島田雅彦が何度も「つつきまわされて」いる。
夕方、家に帰り、ふたたびパソコンの前で2時間ほど仕事をする。会議用の資料づくり。
夜飯は、妻が拵えた根菜がたっぷり入ったうどんを食す。
仕事を終え、妻と、Wiiのマリオカートをやる。オンラインで世界中のキッズ(か、どうかわからんが。すくなくともおれや妻は「キッズ」じゃないし)と対戦ができる。まだハンドルタイプのコントローラーに慣れていないので、結果はボロボロだった。妻がどべ、おれがどべ2。ずっとボタンを押し続けている右手が筋肉痛になった(劣化してるなぁ…)。
今日はなんだかとても疲れている。12時前にはベッドに入った。

●おれは金井美恵子の怒りにはほとんど共感できないにもかかわらず、
それでも彼女の悪口がおもしろく読めるのは、
普通、人の悪口というのは、聞いていて鬱陶しい気分になることが多くて、
それは感情の野放図な吐露が必然的に単調な内容の繰り返しに陥るしかないようなものだから、なのだろうが、
金井美恵子の悪口の場合、ただ感情にまかせて言葉を垂れ流しているわけではなくて、
文章を紡ぐ手つきに芸があるというのか、
あたりまえのことだが、きちんと考えられたうえで文章が書かれており、
そのように「思考が張り巡らされた」文章には多彩な動きが孕まれているから、
それで退屈せずに読むことができるのだろう。

おれが金井美恵子の怒りにほとんど共感できないというのは、そんな程度のことで何をそんなに苛立っているのだろう?と感じてしまうことによる。
言葉を産み出す動機を得るために、あえてちょっとした違和感を増幅してみせているのだろうか。
ほんとうにそんなにも苛立っているのだとすれば、なぜ、そんなにも怒りを保持しつづけていられるのだろう?

怒る、というのは、それが「正当」なものであれ「非合理」なものであれ、いずれにしろ偏狭な精神の産物にはちがいないだろうが、
文学者というのは、誰もがそれぞれに独自の偏狭さを抱えているものなのかもしれないとも思う。
自らの偏狭さに拠って立ち、そこから見える景色を描く、
そして、その書く過程のなかで、自らの偏狭さをテキストのなかに開いていく、
それが、本質的な文学者の在りようなのかもしれない、と。
そうだとするなら、金井美恵子の悪口がひとつの芸になっているというのは、彼女が本質的な文学者である証ということになるだろう。

by daiouika1967 | 2008-06-07 23:45 | 日記  

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