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7月24日(木) 晴

暑い。外に出た瞬間、くわぁ。なんだ、この空気。お湯か!と、ひとりで空気にツッコミをいれつつ、できるだけ筋肉を使わないようにタラタラ歩く。筋肉を使うと身体に熱が発生するので、できるだけタラタラタラタラ名駅まで歩いた。それでもその10分の道のりだけでもう胸元を汗がつたっていた。

名駅から地下鉄で大須へ向う。妻が大須の病院に通っていて、ちょうど昼時に検診が終わると言う。じゃあいっしょに飯食う?ということで、二人で昼飯を食うことになった。病院の待合室まで妻を迎えにいき、大須のアーケード街を上前津の方向に向かって歩く。
いい具合に鰻の店を発見する。でも今日は混んでるんだろうな、と覗くと、意外にそれほどでもなく、すぐに二階の座敷に案内された。ひつまぶしを注文する。土用の丑の日には、店が混むので敢えて鰻は避けてきたのだが、今年は偶々、期せずして鰻を食べることになった。

午後はさらに暑くなる。
上前津の<サウンドベイ>で4年ぶりに再開したデイジーワールドの新譜2枚、新生デイジーワールドのコンピ『daisy holiday』、細野晴臣のこれまでの作品のなかからレコード未収録の音源を集めたアーカイヴシリーズ第一弾『beyond good and evil』を買う。ついでに、ビーチェというグループの『かなえられない夜のために』というアルバムも手に取る。女の子がベッドの上でまくらを抱いているジャケットに惹かれて手に取ると、帯の推薦コメントを小西康弘が書いているのを見つけた。買い。

暑い中鶴舞まで30分くらい歩いた。汗みどろになる。脱水気味で軽く目眩がする。狂気の沙汰である。
鶴舞からJRで名駅に戻り、<三省堂>で、河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』(潮出出版)、秋山祐徳大使『天然老人 こんなに楽しい独居生活』(アスキー新書)の2冊を買う。
喫茶店で水分を補給しながら『こころと脳の対話』を読む。脳の話はあまり出てこない。心理療法、深層心理学について、茂木健一郎が河合隼雄にインタビューするという体で対話が進む。
おれはときどき河合隼雄の言葉に触れたくなる。どこか意識が凝り固まったようになっているときである。河合隼雄の言葉には、硬直した意識を揉み解してくれるようなところがあるのだ。物事を多面的に見ることができるように、精神の柔軟性を回復してくれるような効果がある。

《河合:僕がよくいうのは、話の内容とこっちの疲れの度合いの乖離がひどい場合は、相手の病状は深い、というんです。
たとえば、こられた人が「人を殺したい。自分も死にたい」とかそんな話をしたら、しんどくなるのは当たり前でしょう。そうではなくて、わりとふつうの話をして帰っていったのに、気がついたらものすごく疲れている場合があるんです。その場合はもう、その人の病状は深い。
それはやっぱり、こちら側が相手と関係をもつために、ものすごく苦労している証拠ですね。話のコンテンツ(内容)は簡単なんですよ。それではないところで、ものすごい苦労してるわけ。(中略)
それから、話を聞いてて、向こうがこっちの腹立つことをいうでしょう。そのとき、腹の立ちようのスケールが違うんですね。なんかもう、蹴っ飛ばしたるかぁという感じで(笑)、そんなことめったに思わないのに、それはやっぱり向こうの病状ですよ。》

《河合:だからうまいこといっているときは、僕は聞いているだけで、その人が自分で考えて、自分でよくなっていかれます。
本当にそういった人、いますよ。「もう本当に、きたときに比べたら、ものすごくよくなりまして。先生のおかげといいたいけれど、おかげとは思いませんね」と(笑)。つまり、僕はなにもいうてませんからね。自分でしゃべって、自分で考えて、自分で解決されたからです。
茂木:壁に向かって話しているのとは違うわけですよね。
河合:壁に向かって話すのはだめだし、自分で考えると、絶対堂々めぐりします。ところが生きている人間が正面から聞くと、堂々めぐりが止まるんです。もうそれだけで僕を頼りにきてるんじゃないかな、と思うくらいです。》

《河合:ふつうよりすごい幻聴や幻覚で、「CIAにつけ狙われている」とか「今夜、敵が攻めてくる」とか、そういう症状でこられる方は、うっかりすると、それは統合失調症になっていきますね。
ところが、そういう人のなかで、「薬物による症状ではない」「急性である」と、このふたつの条件に当てはまる患者を治していく、ジョン・ペリーというアメリカの学者がいたんです。この方ね、黒船で有名なペリーの弟のお孫さんなんです。僕がそこへ訪ねていったら、ペリー提督の絵がありましたけれどね。
そのジョン・ペリーさんに、「どうやって治していくんですか」と訊いたら、相手がきたとき、いつもずっと端にいるんですって。ずっと端にいるんだけど、「中心をはずさずに」そこにいる。それができれば、その人は治ると。
茂木:中心をはずさずに?
河合:自分の。中心をはずさずにそこにいること。ただもうそれだけなんです。
その部屋は、くるなり、死のうと思って、壁にバーンと頭ぶつけたりするような人がいるから、壁なんか全部柔らかくしているし、それから一人で会って、飛びかかってこられたりすると困るから、必ずもう一人か二人と部屋に入っているんですけれども、ペリーさんは何してるかといったら、そこでただ、「中心をはずさずに」座っているだけですと。
茂木:座っている。聞いているだけ?
河合:ええ。そんなこと、まあ、できないですよ。そうでしょ?くるなり、「宇宙人がやってくる!殺される!」とかいっている人相手に、ジーッと座っているというのはね。》

《茂木:答えをすぐ求めすぎる傾向って、現代の深刻な病のような気がしますね。言葉とか細部に引きずられる傾向というか。
そういう意味では、先ほどの話に戻ると、われわれは「中心をはずさず」に人に接するということを忘れてしまっているともいえますね。ある人のことを判断するのでも、その人の言葉や振る舞いに引きずられて判断しちゃったりしますよね。
河合:ちょっとね、その判断がみんな早すぎるんですね。もっと悪いのは、僕はよくいうんだけれども、みんな一人ひとり違うのに、数字で順番をつけたがるんですよ。
「年収いくらですか」といったら、年収の高い人から低い人まで全部順番がつくでしょう。それは、一人ひとり分けているようで、なにも分けてないですね。お金で分けているだけなんだけれど、それでみんな錯覚を起している。
そして、ちょっとでもみんなよりお金の多いほうに行こうとしたりする。そうして頑張っているようだけど、じつは個性を摩滅させるほうに頑張っているわけですよ。
だから、そういう細部に飛びつかない、という姿勢がものすごく大事ですね。そうじゃなくて、その人を全体として見る。全体として見ていると、本当に人間というのはおもしろい。人間は誰でも、何をやらかすかわからん可能性をもっている。こう思いますね、本当に。》

by daiouika1967 | 2008-07-25 22:34 | 日記  

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