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9月2日(火) 曇ときどき雨

●企画書をひとつ書き上げなくてはならない。簡単なやつだ。2時間もかかりきれば済む。しかしそれがなかなか手につかない。仕事にかかるというマインドセットができないのだ。最近ではこういうことはめずらしい。淡々と仕事にかかることができたのが、今日はどうもダメだ。

●やんなきゃな、と思いつつ、雨がやんだので、“とりあえず”散歩に出る。吉本隆明の講演「中原中也と立原道造 ―自然と恋愛」を聞きながら、ぶらぶらと歩いた。
吉本隆明の言葉は臓腑に響いてくる。『吉本隆明50の講演』を買って、その語りを耳で聞くことが多くなって、改めてそのことを実感した。
吉本隆明は、「言葉に価値というものがあるとすれば、それは、コミュニケーションの量によってではなく、沈黙の量によって高められる」というような意味のことを言う。「沈黙の量」とは、つまり、あるひとつの言葉に、自分自身との対話の時間がどれだけ含まれているのか、ということだろうと思う。「それはどれだけ考えぬかれた言葉なんだ?」ということが問われているのだと言ってもいいかもしれない。
その声を聞いていると、吉本隆明の言葉は、どれも考えぬかれて発せられたものであるように感じる。だから臓腑に響くのである。

●人間は五感だけではなく、主に内臓感覚において自然と感応する。だから、例えば人間にとってなぜ緑が大切なのかといえば、それは人間にその緑と感応する内臓というものがあるからだ、ということになる。
大正の終わりから昭和の初めにかけて、人間のもつ自然への感応を詠じた詩人たちが多数輩出した。自然への感応を、五感から内臓感覚までを総動員して、そのあらゆる階梯を表現した詩人たちが、その一時期になぜか多数現れた。中原中也と立原道造もまた、そうした「自然詩人」たちのひとりと位置づけられるだろう。…講演はそんな語りから始められ、彼らの表現が、同時代の西洋のアバンギャルド(ダダやシュルレアリスムなど)とどのように共鳴し、そのことがどのように、それまで日本には存在しなかった「言葉の組み合わせ・扱い方」を産んでいくことになったのか、実作の例を挙げながら進められていく。…

●ツインタワーの<三省堂>まで足を伸ばし、ゲッツ板谷『インド怪人旅行』(角川文庫)、日本経済新聞社編『インド 目覚めた経済大国』(日経ビジネス文庫)を買う。
喫茶店で、『インド 目覚めた経済大国』を読み始める。序章、第一章を読む。読みながら、インドが中国と大きく違うのは、インドは「世界最大の民主主義国家」ってところなんだな、とあらためてそう気づいた。
民主主義国家、ということは、選挙を睨んだ政策が実施されるということである。インドは現在、税金を納めていない貧しい農民層が国民のマジョリティを占めている。だから選挙で彼らの票を取るためには、彼らの生活を向上させるような、「底上げ政策」をとらざるを得ないということになる。中国のように一党独裁の中央強権国家とは、そこが違う。短期的な経済の成長速度だけを考えると、中国の方が有利であるようにも思うが、中長期的にみれば、インドの方が着実であるようにも感じる。

●夜、9時過ぎに、ようやく仕事にとりかかる。特に「さあ始めるぞ」と力をこめたわけではなく、なんとなくパソコンに一行、文章を打ったら、そのままその一行に引きずられてずるずると仕事に入ってしまい、最初の見当どおり二時間後には企画書ができあがっていた。

by daiouika1967 | 2008-09-04 10:57 | 日記  

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