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9月21日(日) 雨のち曇

●終日、雨。午前中医者に行った妻とともに7時に起きるが、特に何をするでもなく、ぼんやりとテレビを眺めて過ごす。<ザ・サンデー>という番組で北朝鮮の街の様子を隠しカメラで撮った映像が流れていた。ホームレスの姿が目立つ。日本にもアメリカにもホームレスはいる。しかし北朝鮮のように、社会全体が貧しい中でホームレスの境遇を生きるのは、さらにより過酷なのだろうと想像がつく。スタジオには脱北者が何人か招かれ、祖国の惨状を、涙を溜めて見つめていた。その姿に、こちらも涙を誘われる。

●昼、名駅まで妻を迎えに行き、<エスカ>でタンタン麺を食べた。<ビッグカメラ>に寄り、ミニコンポ、ブルーレイ、スーパーモバイルなどを眺める。
妻は病院で麻酔を打ってきたようで、午後は、ずっと眠っていた。おれも、何もやる気が起きず、ずっとWiiマリオカートをやって時間を潰した。

●昨日読んだ、村田喜代子『名文を書かない文章講座』から、あといくつか、メモ、引用。

4.描写について。描写は、対象を見たままにデッサンすることではなく、あるテーマに沿った見方、作為のある視線で、対象を切り出すことである。

《描写は読んで字のごとく、風景や情景、人物などの様子を紙に描き出すことだ。描き出すという点では絵画と似ているが、ただ、デッサンとは違うのである。デッサンは見たままを描くが、文章のなかの描写はありのままを描くものではない。
描写は自分の目に映った形を、壊すところから始まる。描写するということは、意図という作為を持つことだ。
たとえば目の前に赤ん坊がいる。これを見たままデッサンすると次のような文章になるだろう。

赤ん坊が眠っている。生後まもないので、両手を上げてしっかり握り締めている。細くて柔らかい頭髪。眉毛も睫もまだ生えそろっていない。ひたいや頬の皮もカサついて、白い粉をふいている。夢を見ているらしく、ときどき瞼がヒクヒクした。

これを描写に変えると、どうなるだろう。それにはまず作為がいる。眠った赤ん坊をどのように意図的に見るか。つまりテーマに沿ってどのような見方をするかである。それによって文章は変わってくる。描写の文章はテーマの手足となって働くのである。生まれたばかりの命の実感を見るならば、次のような描写になるだろう。

赤ん坊は眠っていた。やっとこないだ生まれてきたばかりで、髪はうぶげみたいに細い。眉毛も睫もなくて、顔の皮膚もしわしわだ。ようやくこの世の波打ち際へたどり着いて、首尾を果たして、今はぐったりと眠っている。それでも握り締めた小さな手に、小さな自分の命をつかんでいる。何を夢見ているのか、瞼をヒクヒクさせた。

ここには作者の主観がある。その主観が文章を独断的に引っ張るのだ。なぜなら赤ん坊は母親のおなかから出てきたのであって、この世の波打ち際などという所にたどり着いたのではないし、また命も自分の手でつかむことはできない。しかし、上のように描くことで文章が生きるのだ。
では今度は、母親が喜びと愛情の目で赤ん坊を見るとどうなるか。今度はその見方に沿って主観が塗り替えられる。

赤ん坊がバンザイをして眠っている。柔らかな髪の毛が淡く、やっと頭を覆っている。まだ眉も睫も生えてなく、しわしわのお猿のようだ。小さな手をキュッと握り締めて、小さな息をして、どんな夢を見ているのだろう。愛らしい瞼がヒクヒク動いている。》


5.文章の書き分けについて。エッセイや小説の文章は、①地の文。②描写。③セリフ。の三種類の文章からできている。

以下は、同じ内容を三種類の文章で書き分けた例。
①地の文。
《子どもの頃、不思議な歌を聞いた。中学生の従姉はキリスト教の学校に通っていて、わたしは修道院の先生が珍しく、よく運動会について行った。ダンスの演目が始まると、タタカイオエテ、タチアガル、ミドリノサンガ、という歌が流れた。冒頭の部分は、戦い終えて立ち上がる、であることはわかるがその次の、ミドリノサンガ、というのが不可解だった。友達はミドリノサンというのは人の名前だろうと言う。それで、戦争が終わって緑野さんという偉い人が立ち上がったのだ、と言うのだった。けれど奇妙なことにそんな人物の名前は、社会科の教科書にも出てこない。》
②描写。
《修道似姿の教師が笛を吹いた。白の体操服に黒のブルーマーをはいた少女達が行進してきた。また笛が鳴る。運動場一杯にスピーカーから音楽が流れ、ダンスが始まった。タタカイオエテ、タチアガル、ミドリノサンガ―。
ノッポの光子が最前列で踊っている。わたしは隣の雪子に囁いた。
「ねえ、ミドリノサンガって何のこと?」
「きっと緑野さんっていう人間よ。偉い人なのよ」》
③セリフ。
《「子どもの頃、従姉の通っているキリスト教のね、修道尼姿の教師が珍しくて、よく運動会を観に行ったものよ。そこでわたし、不思議な歌を聞いたの。女子のダンスの演目だけど、タタカイオエテ、タチアガル、ミドリノサンガ、っていう歌詞だったわ。タタカイオエテは、つまり戦争が終わってという意味だってわかるけど、ミドリノサンガっていうのが不可解なのね。友達は緑野さんていう英雄みたいな人物がいるんだろうと言うけど、でもそんな名前は教科書に載っていないの」》。

by daiouika1967 | 2008-09-23 10:45 | 日記  

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