9月29日(月) 雨

軽い二日酔いで、朝、なかなか起きられず、9時半までベッドのなかでダラダラする。朝方、酔った時特有の生々しい夢を見る。妻がAVを買ってきて「見れば?」、というような夢。10時前には起床する。
睡蓮の鉢の水が、藻が繁殖しすぎて深緑色になっている。藻を食わせるためにメダカを入れてあるのだが、メダカの食う勢いより、藻の繁殖力の方が強いようだ。バケツに汲み置きしておいた水で、半分くらいの分量の水を入れ替え、深緑がすこしだけ薄くなった。プランターのキュウリは、寒くなってしまったので、もう育たないだろう。猫のペニスくらいの大きさにまで育ったのだが、今日見たら、葉っぱとその小さな実に、びっしりとアブラムシがたかっていた。霧吹きのノズルを強めて、水流で退治する。もうキュウリが育たないのが分かっているのに、なぜ世話をしなきゃいけないんだろう、と思いつつ。今まで世話を続けてきた惰性だろうか。往生際が悪い。
朝食は10時過ぎ、卵掛けご飯、納豆、沢庵、インスタント味噌汁。バナナと豆乳をミキサーで攪拌したジュース。
11過ぎ、家を出て、名駅へ。地下街へ下りていく階段の脇にいつも座っている浮浪者のおっさん、昨日まで薄着だったのに、今日は薄手のダウンジャケットを着込んでいた。どこから持ってくるのだろうか。このおっさん、髪や顔は薄汚れているのに、服はいつも小奇麗なものを身にまとっている。時々、階段に座って、文庫本を読んでいることもある。この間チラッと見たときには、ポール・ヴァレリィを読んでいた。
歩きながら、仕事の電話を一件かけて、喫茶店で、渡辺京二『日本近世の起源 ―戦国乱世から徳川の平和へ』(洋泉社)の残りを読む。二日酔いの後遺症か、頭が澱んでいて、なかなか文章のリズムに乗ることができない。こんなときは、無理にでも読み続けると、30~40分もすれば、だんだんと文意が頭に入るようになってくる。
<ジュンク堂>に行き、新刊の棚を流していると、小池昌代『ことば汁』(中央公論社)に眼が留まった。装丁、タイトル、帯に抜粋された小説の一部分の文章に、「買え」と誘われる。その抜粋された箇所は、こういう文章―《わたしが眠っているあいだに、深い鍋のなかで、この世の現実は、とろとろと煮込まれていく。夢など見ない。わたしが夢そのものだから。書くことも読むこともない。わたしが物語そのものだから。わたしはもう、ヒトでもないかもしれない》。
日常の何気ないことがらを書いて、その文章から幻想味が滲んでいる、というような“幻想小説”が、おれは好きだ。この本も、著者に対する予備知識はまったくなかったけれど、装丁、タイトル、帯の文章から、おれの好みの小説であるような気配がした。
購入し、喫茶店に入って、早速読んでみた。期待通りの作風だった。満足。
ものすごい量のうんこがドサッと出た。昨夜のカニすきで、きのこ類を山のように食べたからだろう。うんこを出したら、腹が減った。3時過ぎ、<マクドナルド>でハンバーガーとポテト、コーラの昼食をとる。食べるついでに、仕事の打ち合わせを済ませた。
<三省堂>に行き、新刊書の棚を流すと、<ジュンク堂>では見つからなかった必買本三冊を見つける。西村賢太の新しい小説集『小銭をかぞえる』(文藝春秋)、保坂和志、『新潮』の連載エッセイの三冊目にあたる単行本『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社)、吾妻ひでお『うつうつひでお日記』の続編、『うつうつひでお日記 その後』(角川書店)。
<高島屋>のデパ地下で、ハンバーグとスティック野菜、プチトマトを買って帰る。夕食はハンバーグ、キャベツの千切り、インスタントのオクラスープ、ふりかけご飯。
食後、妻とふたりでソファーに座り、DVDを2本観る。『FREEDOM』最終話と、『少女地獄1999』。『少女地獄1999』は、ハンディカムのビデオで撮った自主制作の映画のような代物。こんなに雑な仕上がりのビデオが、商品として流通していることが、驚異というか不思議である。それでも、尺が65分と短かったので、妻とふたり、無理やり笑える箇所を見つけつつ、最後まで見通した。脱力感。
2時前、就寝。

渡辺京二『日本近世の起源 ―戦国乱世から徳川の平和へ』(洋泉社)。
戦国乱世はどのような時代だったか。まずそれは、里山や河川の使用権をめぐって、惣村間で争いあう、「自力救済」の世界だった。惣村の成員が他の惣村の成員から屈辱を受けると、それをはらすために、惣村間で争いが起こることも多かった。徳川の平和は、この乱世の時代があって、民衆がそれを自己否定したところに実現したものであった。
1.村請制の成立が、荘園領主の支配権を空洞化させ、村落共同体に結集した村人の自立を促し、ここに惣村が現出した。
2.幕府、公家、荘園領主だけでなく、守護・地頭、さらに惣村までが死刑を含む裁判権を有していた。《しかも中世人にとって訴訟は扮装解決の一手段にすぎず、法廷の外に開けているのは広大な自力救済の世界だった。普遍的な法が存在せず、仮に存在したところでそれを執行実現する統一権力の欠如している社会では、権利は武力を含む実力で主張・防衛せざるを得なかった。》
3.村々は自立救済の世界を生き抜く集団として、きびしい内部規制をもった、ミリタリーな集団として存在していた。
4.民衆の自立が個人単位ではなく村単位だったということは、村のために犠牲となって命を捨てねばならないという事態をも招いた。そのひとつの例に、解死人(げしにん=下手人)がある。《勝俣鎮夫によれば、これは「喧嘩などにより人が殺された場合、被害者の所属する集団は、加害者の属する集団に下手人の引渡しを要求し、この下手人の差出によって和解するという習慣」であるが、この場合差し出される人間は実際の犯人でなく、その犯人の属する集団の成員なら誰でもよかった。解死人には童・女性・老人が立つ場合が多く、その場合処刑されることはなかったというが、注目すべきなのは村内に居住する乞食が立てられ、その場合村の身代わりとして死ぬかわりに子孫を村の正式の成員として遇するという褒賞が与えられていることである。乞食は領主に差し出す咎人の代わりにもされた。》
5.戦国時代(16世紀)は、惣村内で侍衆という階層に結集した有力農民が、戦国大名の家臣団に組みこまれ、さらには職農家臣団・幕藩制度家臣団の中核をなして行く一世紀だった。

●本論の筋の補足的な箇所ではあるが、親鸞の思想の「核心」について書かれた記述が、よくまとまっていて明晰だったので、引用しておく。
《親鸞(1173~1262)というのはむずかしい人である。その言辞は逆説にみち、容易に教条化を許さない。ただその核心が、人間という存在の救いのなさの、常人の次元を超えた徹底的な覚知にあったことは疑いようがない。人間は貧苦や病苦、老いや死を免れないから救われないなどと、説教坊主のようなことを彼は言わない。ただしずかに、われわれ人間はどんなに努力精進しても自力では救われぬと呟くだけである。たとえ貧苦や病苦、老いと死から免れていようとも、人間に救いはないのだ。その凝視は揺らぐことがなかった。
だから親鸞はまず何よりも、宗教の説く救済を否定してかわりに絶望を説いたのである。ただ、そこから彼は反転した。それが彼の宗教者たるゆえんであって、救いなき身であればこそ救いはすでに現前しているという、特異な救済の自覚がそこに成り立つ。この人の世が、さまざまな修行や善行によって救いをうることができる構造になっているのなら、人間にはもともと救いは要らないのだ。救いのないという事実が絶対であればこそ、救済の存在もまた絶対的なのである。絶望のないところに救済の要請があるはずはない。救われぬからこそ救われねばならぬのである。他力とはこのこと以外を意味しない。おのれの計らいをこえた救いをもたらしてくれるのは、いうまでもなく阿弥陀仏の悲願である。都合のいいときに阿弥陀仏が待ち構えてくれていたものだというなどと、つまらぬ皮肉は言うまい。親鸞のいう阿弥陀仏とは、大乗仏教に源を発するたんなる教説(ドグマ)ではなかったからである。阿弥陀仏はすべての衆生を光明のうちに摂受すると誓ったありがたい仏なのだから、その誓願が存在する以上、汝ら衆生の往生はすでに決定しているというだけのことなら、それを教学的に説けば一個の中世的ドグマにすぎず、それを盲目的に信じこめば一個の迷信にすぎない。親鸞にとって阿弥陀仏とは教説でもなければ観念でもなかった。(中略)
私は親鸞の前に、阿弥陀仏はかならずや、山河の姿をとって現れただろうと信じる。また、人間の生きる姿の悲しさとして現れただろうと信じる。親鸞にとって阿弥陀仏とは、人間も含めたこの世界という存在が語りかけてくる声ならぬ声にほかならなかった。つまり彼は絶対的救済者の現前を、たしかにひとつの肉感として覚知したのである。しかも、おのれの思惟や行為をこえた、まったく向こうのほうからやってくる他力としてそれを感受したのである。
親鸞は人間を含むこの世界の構造を、救いなき悪と覚知したのではなかったか。彼の悪の自覚は、説教坊主が説くように、わが身の悪をよく認識・反省し、そういう悪人たるわが身が生かされている不思議を思いみて感謝の心をもちなさいといった、そんな程度の悪の認識なのではなかった。反省してどうにかなるような悪なら、そもそも救済は必要とせぬ。親鸞は現実世界内の倫理を説いたのではない。彼が必死に尋ねたのは、世俗世界を超えた次元での救済だった。
宗教はこの世での人間の身の処し方を説くものではない。むろんそれが世俗社会のひとつの構成要素として在る以上、宗教は独自の倫理体系を発達させることになる。しかしそれは宗教の本義ではない。親鸞はあくまでも宗教者だった。宗教事業者、つまり宗教の宣布者・組織者だったのではない。宗教者というのは神を感受する人である。そして親鸞の場合神は、救いなき身という虚無の徹底的な覚知があって初めて出現した。そういう特異な神であった。それは彼が、救済が先験的に拒絶されている世界の構造を覚知しながら、それゆえにこそ同時に、すでに救済されているもうひとつの世界の相を覚知したことを意味する。このあたりはまさに言語を超えた世界であって、それが、山河あるいは人間の生きる悲しさとして現れただろうというのは、ただ私のひそかな思念にすぎない。》

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by daiouika1967 | 2008-09-30 10:03 | 日記  

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