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9月30日(火) 雨

Pが掛け布団の上に乗ってきて、目が覚めた。うっすらと眼を開けると、まだ未明である。暗くて時計は見えないが、まだ餌を与える時間ではないことはたしかだ。手でPの尻を押して布団からどかし、再び眠る体勢に入る。いつもならこれであきらめて、しばらくはどこかに行っているのだが、今日のPはしつこかった。今度は顔をペロペロ舐め始める。ヒヤッと目が覚めた。そんな攻防をしばらく続けて、けっきょく折れたのはおれの方だった。妻を起さないよう、静かに上体を起し、布団からすりぬけて、ふらついた足取りで冷蔵庫へ向う。Pは、そんなおれの動きを、じっと見つめている。餌を所定の場所まで持ってくると、おれの脚に身体をすり寄せてはしゃぐようなそぶりをみせる。Pが餌を食むクチャクチャいう音を聞きながら、時計を見ると、まだ4時をすこし回ったあたりだった。寝たのが2時だから、まだ2時間しか睡眠が取れていない。再びベッドに戻り、浅い眠りをむさぼって、次にはっきりと目が覚めたのは9時過ぎだった。頭がいまひとつはっきりしない。睡眠の質が悪いのである。

朝食はコーンフレークと野菜スティック。11時頃家を出る。小雨。
名駅の喫茶店で、西村賢太『小銭をかぞえる』(文藝春秋)を開き、「焼却炉行き赤ん坊」を読む。
最後に、この主人公(これは「私小説」ということだから、主人公は作者自身を“煮込んだ”作物ということだろうが)は、「何か絶対に言ってはいけないことを言い、やってはいけないことをやって」しまう。読んでいるこちらまで、主人公と同様の、「異様なまでの心の動揺」を覚えさせられた。小説は、それを読む人間に、事件・ことがらを示すのではなく、体験させる。
読後、なんともいいようのない厭な気分になった。しかし、厭な気分には違いないのだが、そこには何かなつかしいような甘みもあって、いつまでも浸っていたくなるような毒気を含んでいる。
場所を変えて、仕事の打ち合わせをひとつ済ませ、そのまま「小銭をかぞえる」を読む。
最後の場面。「私」は、ちょっとしたいざこざから、同棲している女に、ひどい悪態をつく。その後のくだりを引く。
《言い放つと腰を上げ、フタを開けたまま無言で函の中に目を落としているだけの女は打ち捨てて、四畳半の自室へと移動した。
が、ひぃとりになった途端、自ら予期していたとおりに彼女に対する憐憫の情が激しく噴出してくるのである。但、それは先程の涙を浮かべてジャラ銭を漁っていた、女の惨めであさましい姿に、何か私自身のケチな稟性、もう腐っているかも知れぬ歪んだ性根を図らずも見たような寂しさを感じた故の、所詮は自己愛にすぎぬものだったのかもしれない。
扉の向こうでは、女が堰を切ったような甲高い欷泣を上げ始めていた。
それは何がなし、奸婦の哄笑めいた響きをもて、私の耳朶深くに不安な沁み込みかたをしてくるのである。》


昼飯は、コンビニでおにぎりとゼリー状の栄養剤を求め、歩きながら口にする。
丸の内に行く用事があったので、ついでに県の図書館に寄った。石井進『石井進の世界4 知の対話』(山川出版社)、谷川健一『原泉の思考 -谷川健一対談集』(富士房インターナショナル)を借り出す。

仕事での写真撮影を終え、家まで歩いて帰った。夕食はうどんと梨。
月末は、事務処理の仕事が溜まる。夜の時間は、パソコンの前で、その処理に費やした。1時過ぎ、就寝。

by daiouika1967 | 2008-10-01 10:36 | 日記  

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