11月7日(金) 曇のち晴

昨夜はしっかり睡眠がとれた。今日は体が軽い。

ジョン・アンダーソン『エドワード・ヤン』(篠儀直子訳 青土社)を読む。エドワード・ヤンの映画は、いまだ一本も観たことがない。以前から、蓮實重彦や中原昌也、梅本洋一らの文章で、その名前は知っていて、ぜひ観たいと思いつつ、未見のまま怠けている(いつものように)。

いくつかの引用。『タイペイ・ストーリー』をめぐって、エドワード・ヤン自身が語った箇所。
《「何だって?これがラヴストーリーだと言うのか?人がばらばらに別れていく話だぞ?」でも当時ぼくはそのようにこの街を見ていたんです。―われわれは過去と別れつつある。そして過去とわれわれとの結びつきは、不可避的に恋愛と似たものでした。しかりリアリティが介入する。あるいは経済的圧力や、さまざまな困難が……。》

『恐怖分子』をめぐって。
《『恐怖分子』では自己破壊が進行する。これは、社会的不安の病理学的兆候とも見える。たとえばリーは、自分の結婚関係をほとんど破壊してしまう(そのくせ、チョウが見つからないとパニックを起すのだが)。》

映画に映る人や物の動き、その関係の変化、その流れが、私たちが生きる「現実」に通じているかどうか。
虚構が、「現実」を構成する諸力と、拮抗した緊張を孕んでいるかどうか。

この間、結婚式当日に、式場を放火して捕まった男がいるというニュースを見た。その男は、すでに妻子があり、しかし、別の女との関係が深まって、ついに結婚することになり、結婚式当日まで、自分に妻子がいるということが言い出せなかったのだという。
その、奇妙なまでに受動的な、追い詰められ方。そこには自己破滅衝動といえるような、ある解放への欲求が認められるのではないか。
例えば、二つの家庭を行き来する、二重生活者。例えば、二重スパイ。例えば、裏切るための裏切り。……

夕方、<三省堂>で、桜井章一・名越康文『未知の力を開く! -気鋭の精神科医が「雀鬼流」を診断する』(ゴマブックス株式会社)を購入し、喫茶店で、半分くらい読む。
表題に「未知の力」あるが、これは、ある精妙な身体感覚のことであり、桜井章一のことばはすべて、この身体感覚を開くための、日々の生活の基本姿勢、事に当たっての心構え、を説いたものであると言えるのではないか。
日常のなかで、さまざまな「障害物」によって、曇らされ、感知できなくなっている、ある精妙な身体感覚。
例えば、「欲望」「願望」「諦念」「弱さ」、そして「自分自身」すらもが「障害物」になる。
そうした「障害物」と、ひとつひとつ適切な距離を挟んでいくことで、人は、「ある精妙な身体感覚」に通じ、物事の「流れ」を見通すことができるようになる。

追いつめられたときは、そこに至った自分の選択を後悔するのではなく、その状況を、自分の殻を破るための、試練のようなものだと捉えるべきである、とふと、そう思う。

名越康文―。
《たとえば、窮地に追いつめられてオタオタする人、災難にあって精神的に溺れかけている人を、安易に見くびったり、笑ってはいけません。そのような過酷な状況の中で本気でもがいている人というのは、そこから帰還した時に人としてものすごく成長していることがあるのです。
僕のまわりにもそういう人がいます。「この人、ダメなんじゃないかな」と思った人が、三ヶ月や半年後に会ったら見違えるような人間になっている。思わず自分が焦ってしまう、あるいは畏怖の念を抱くほどの変貌を遂げていることがあるのです。
ただそれにも法則があります。形だけジタバタしているようでは決して心を鍛えることはできません。なりふり構わず、本気でジタバタしている人だけが心を鍛えることができている気がします。人間は精神の旅をするべきなのです。》


夜、DVDで、黒沢清監督『復讐』シリーズを、久しぶりに観る。
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by daiouika1967 | 2008-11-08 20:03 | 日記  

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