11月12日(水) 晴

よく見る夢に、返却し忘れているレンタルDVDがあることに気づく、というものがある。今日もまた、うわっ。どれだけ延滞料かかるんだ?と衝撃を受けているところで、目が覚めた。
9時から、パソコンに向かい、日記をつけ、食事をとり、11時に家を出る。
岡本一郎『グーグルに勝つ広告モデル ―マスメディアは必要か』(光文社文庫)を読み、2時過ぎ、栄町地下街の定食屋で、遅い昼食をとる(ミソひれかつ定食)。食後、矢場町の喫茶店まで歩き、『SEO SEM テクニック』vol.5を読む。
夕方。妻からメールで、「う巻きが食べたい」と入ってきた。高島屋の鰻屋に行くと、う巻きは売れ切れていたので、長焼きを買って帰る。夕飯は、鰻丼とサラダとカレー。
夜、DVDで『ヒトラー 最後の12日間』を観る。ヒトラー役は、『ベルリン・天使の詩』で主役の天使役を演じたブルーノ・ガンツ。映画は、すこし退屈だったのだが、ブルーノ・ガンツのヒトラーは渋い味わいがあった。
夜は、パソコンからいらないソフトをアンインストールしたり、英語学習のWEBサイトを捜したり、ミクシイに書き込んだり、Pを膝に乗せて撫でたり、そんなふうになんとなく時間を潰し、1時過ぎに就寝した。

●新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、インターネットといったメディアは、どのような競合関係にあるのだろうか。
人びとが、メディアを享受する時間は、限られている。平均して、一日3、4時間といったところだろう。そうであれば、人びとがインターネットに費やす時間は、それまで、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどに費やしていた時間を削って、捻出しているのである。各メディアは、競合関係にあるのだ。

まず、そのメディアへのアクセススタイルを考えねばならない。そのメディアが、人びとの生活の場面のなかで、どんなふうにアクセスされているのか、ということだ。
インターネットは、必要な情報に到達するために、まずパソコンに向かって座り、何らかの検索ワードを入力する、というアクションを必要とする。情報の内容も、テキストと静止画像といった、どちらかといえば理性的な解読を必要とする内容がメインである(最近は動画も増えてきたが)。
つまり、インターネットは、使用者が、かなり能動的にアクセスしなければならないメディアであると言えるだろう。ケータイによるインターネットへのアクセスが増加して、場所的な制約は小さくなるだろうが、それでも能動的な検索を必要とするというスタイルは、当面変わることはないはずだ。
では、ラジオは、どんなふうなアクセススタイルをもったメディアか。たとえば、車を運転している最中、手仕事をしている最中、床屋や喫茶店で、というふうに、ほとんど人は、何かをしながら、ラジオを聴いている。インターネットが能動的なメディアだとすれば、ラジオはきわめて受動的なメディアだと言うことができるだろう。つまり、インターネットとラジオというメディアは、人がそのメディアにアクセスするシチュエーションがまったく異なっており、今のところ、競合関係は薄いと考えることができる。
それでは、テレビはどうだろうか。ラジオと同じように、テレビは、インターネットに比べて、能動性の低い、受動性の高いメディアであると言える。ただし、テレビは、画像を見る必要がある分、ラジオに比べれば拘束性は高いメディアである。ケータイのワンセグやカーナビなどもあるにはあるが、テレビはいまだ家での視聴がそのアクセススタイルではメインであるはずだ。つまり、そのアクセススタイルにおいて、インターネットとの競合度は、ラジオよりは高いのだといえる。

それから、そのメディアのもつ特質、人は何を求めてそのメディアに接するのか、という点を考えねばならない。
たとえばテレビである。どうしても見たい番組があるときだけテレビを見る、という人もいるだろうが、多くの人は、とくに見たい番組がなくても、家では「なんとなく」テレビをつけているのではないだろうか。つまり、テレビは、「情報を得るため」「エンターテインメントを楽しむため」以外に、「なんとなく寂しさを紛らわすため」「テレビを通してなんとなく世間とつながっているような気になるため」に、見られている。これは今のところインターネットでは代替できない(しづらい)部分である。

このように各メディアが、人びとの生活のなかに、どのように根付き、人びとに対し、どんな質の時間を与えているのかを考えることで、各メディア間の競合関係が浮かんでくるはずである。

●新しく作られるテレビ番組の競合となるのは、インターネット上に存在する、膨大な過去の映像コンテンツであろう。じっさい、テレビは見ないけど、youtubeやニコニコ動画は見る、という人びとは増えている。
今後、例えば音楽で、クラシックは聴かれるけれど、現代音楽はほとんど聴かれない、といった状況に似た状況が、出現してくるのではないか。

●現状のインターネットは、人びとを未知の情報へ誘う、という契機に乏しい。
インターネットでは、まず検索エンジンにキーワードを入力しなければ始まらないが、それはつまり、その人が思いつくことができるキーワードに関連する情報しか、その人には開示されないということである。

●インターネットの広告は、人びとのインタレストを誘い出す、いわば「引きの営業」として機能する。既存の広告はすべて、人びとにアテンションを促す、いわば「押しの営業」として機能するものである。
YAHOOでは、インターネットを、「アテンションを促す第五の広告メディア」として捉えているのに対し、GOOGLEでは、インターネットの本質を、正確に、「人びとのインタレストに基づいて広がる世界」と捉え、そのメディア特性を生かした広告モデルを開発した。
インターネットマーケティングで、重要なのは、GOOGLEのように、インターネットのメディア特性を十分に理解しているかどうか、という点にかかっている。
成功事例をみれば、すべて、人びとのアテンションを促す一方的なメッセージを発するものではなく、自ら人びとの織り成すコミュニティのなかに入り、そのなかから人びとのインタレストを誘い出すような仕掛けを設定している。
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by daiouika1967 | 2008-11-14 09:42 | 日記  

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