11月19日(水) 晴

9時過ぎ、起床。昨日から一気に寒くなって、毛布を出した。今朝も、昨日と同じくらいに冷え込む。
なんだかとても平穏な、静かな気分で目覚めた。
生活や商売や人間関係や、そうした諸々からくる、ざわつく不安から絶縁して、切迫するものの何もない場所に出て、ぽつんとひとりでいる。そんな心地のする一日だった。
“そうした諸々”から逃避している、というのではない。例えば、おれは常日頃、知らない番号から電話がかかってくると、一瞬びくっと体が硬直して、「なんだろう?なにか悪い知らせだろうか」と漠然と不安な気分を覚えるのだが、今日は、知らない番号から電話があっても、べつにそうした心の波紋も広がらず、ただ「知らない番号からの電話だな」と、そのまま受けとめている。
物事を、そのまま受けてとめて、思い煩うということがない。
あらためて考えてみると、何かが起こるたび(あるいは何かが起こるのではないかと想像して)、不安や苛立ちを感じ、思い煩うということの方が、おかしなことのように思われてくる。
どうも、ここしばらく、おれはある種の関係妄想に陥っていたのかもしれない、とも思う。
いや、病的なものではないから、“妄想”というのは当たらないかもしれないが、しかし、今日は、そのような磁場から解放され、すべてをありのままに受けとめることができるような気がしている。

洲之内徹『帰りたい風景 ―気まぐれ美術館』(新潮文庫)を最後まで読む。
「羊について」と題された一章に、深く共感し、感じ入る。

洲之内徹は、「今年は私は死ぬかもしれない」と、今の自分にはそうした漠然とした死の観念があるのだという。
―《かといって、死の予感とか、そんなたいそうなものではない。また、早く死にたがっているというわけでも毛頭ない。とんでもない話で、私は、やっとこの頃になって、生きているということがとても面白いことだということが解ってきたところなのである。一日一日といろいろのことがよく見えてくるような気がして、とても楽しいのだ。見えてくるというのは見方を覚えるということでもある。そのために本を読む。(中略)そして、一冊読むごとに、世の中にはどちらを向いても偉い人間が一杯いるんだなあと感心してしまう。折角こうなったところで死んではつまらない。しかし、いま死んでも、こうならずに死んでしまうことにならずに済んだだけでもよかったなあ、と思う。》

午後、寒いなかを、大須まで歩いて、ノムラ書店で、庄野潤三『山の上に憩いあり』(新潮社出版)、芹沢俊介『芥川龍之介の宿命』(筑摩書房)を買う。二冊で500円だった。
名駅まで歩き、4時ごろ、マクドナルドでてりやきバーガーを食べながら、『芥川龍之介の宿命』をぱらぱら読み始める。あまり集中しての読書ではなく、冒頭の50ページしか読み進まなかった。

夜、パソコンに向かって、仕事をすこし、英語の勉強を2時間。1時には就寝する。
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by daiouika1967 | 2008-11-21 10:02 | 日記  

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