<   2008年 09月 ( 29 )   > この月の画像一覧

 

9月29日(月) 雨

軽い二日酔いで、朝、なかなか起きられず、9時半までベッドのなかでダラダラする。朝方、酔った時特有の生々しい夢を見る。妻がAVを買ってきて「見れば?」、というような夢。10時前には起床する。
睡蓮の鉢の水が、藻が繁殖しすぎて深緑色になっている。藻を食わせるためにメダカを入れてあるのだが、メダカの食う勢いより、藻の繁殖力の方が強いようだ。バケツに汲み置きしておいた水で、半分くらいの分量の水を入れ替え、深緑がすこしだけ薄くなった。プランターのキュウリは、寒くなってしまったので、もう育たないだろう。猫のペニスくらいの大きさにまで育ったのだが、今日見たら、葉っぱとその小さな実に、びっしりとアブラムシがたかっていた。霧吹きのノズルを強めて、水流で退治する。もうキュウリが育たないのが分かっているのに、なぜ世話をしなきゃいけないんだろう、と思いつつ。今まで世話を続けてきた惰性だろうか。往生際が悪い。
朝食は10時過ぎ、卵掛けご飯、納豆、沢庵、インスタント味噌汁。バナナと豆乳をミキサーで攪拌したジュース。
11過ぎ、家を出て、名駅へ。地下街へ下りていく階段の脇にいつも座っている浮浪者のおっさん、昨日まで薄着だったのに、今日は薄手のダウンジャケットを着込んでいた。どこから持ってくるのだろうか。このおっさん、髪や顔は薄汚れているのに、服はいつも小奇麗なものを身にまとっている。時々、階段に座って、文庫本を読んでいることもある。この間チラッと見たときには、ポール・ヴァレリィを読んでいた。
歩きながら、仕事の電話を一件かけて、喫茶店で、渡辺京二『日本近世の起源 ―戦国乱世から徳川の平和へ』(洋泉社)の残りを読む。二日酔いの後遺症か、頭が澱んでいて、なかなか文章のリズムに乗ることができない。こんなときは、無理にでも読み続けると、30~40分もすれば、だんだんと文意が頭に入るようになってくる。
<ジュンク堂>に行き、新刊の棚を流していると、小池昌代『ことば汁』(中央公論社)に眼が留まった。装丁、タイトル、帯に抜粋された小説の一部分の文章に、「買え」と誘われる。その抜粋された箇所は、こういう文章―《わたしが眠っているあいだに、深い鍋のなかで、この世の現実は、とろとろと煮込まれていく。夢など見ない。わたしが夢そのものだから。書くことも読むこともない。わたしが物語そのものだから。わたしはもう、ヒトでもないかもしれない》。
日常の何気ないことがらを書いて、その文章から幻想味が滲んでいる、というような“幻想小説”が、おれは好きだ。この本も、著者に対する予備知識はまったくなかったけれど、装丁、タイトル、帯の文章から、おれの好みの小説であるような気配がした。
購入し、喫茶店に入って、早速読んでみた。期待通りの作風だった。満足。
ものすごい量のうんこがドサッと出た。昨夜のカニすきで、きのこ類を山のように食べたからだろう。うんこを出したら、腹が減った。3時過ぎ、<マクドナルド>でハンバーガーとポテト、コーラの昼食をとる。食べるついでに、仕事の打ち合わせを済ませた。
<三省堂>に行き、新刊書の棚を流すと、<ジュンク堂>では見つからなかった必買本三冊を見つける。西村賢太の新しい小説集『小銭をかぞえる』(文藝春秋)、保坂和志、『新潮』の連載エッセイの三冊目にあたる単行本『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社)、吾妻ひでお『うつうつひでお日記』の続編、『うつうつひでお日記 その後』(角川書店)。
<高島屋>のデパ地下で、ハンバーグとスティック野菜、プチトマトを買って帰る。夕食はハンバーグ、キャベツの千切り、インスタントのオクラスープ、ふりかけご飯。
食後、妻とふたりでソファーに座り、DVDを2本観る。『FREEDOM』最終話と、『少女地獄1999』。『少女地獄1999』は、ハンディカムのビデオで撮った自主制作の映画のような代物。こんなに雑な仕上がりのビデオが、商品として流通していることが、驚異というか不思議である。それでも、尺が65分と短かったので、妻とふたり、無理やり笑える箇所を見つけつつ、最後まで見通した。脱力感。
2時前、就寝。

渡辺京二『日本近世の起源 ―戦国乱世から徳川の平和へ』(洋泉社)。
戦国乱世はどのような時代だったか。まずそれは、里山や河川の使用権をめぐって、惣村間で争いあう、「自力救済」の世界だった。惣村の成員が他の惣村の成員から屈辱を受けると、それをはらすために、惣村間で争いが起こることも多かった。徳川の平和は、この乱世の時代があって、民衆がそれを自己否定したところに実現したものであった。
1.村請制の成立が、荘園領主の支配権を空洞化させ、村落共同体に結集した村人の自立を促し、ここに惣村が現出した。
2.幕府、公家、荘園領主だけでなく、守護・地頭、さらに惣村までが死刑を含む裁判権を有していた。《しかも中世人にとって訴訟は扮装解決の一手段にすぎず、法廷の外に開けているのは広大な自力救済の世界だった。普遍的な法が存在せず、仮に存在したところでそれを執行実現する統一権力の欠如している社会では、権利は武力を含む実力で主張・防衛せざるを得なかった。》
3.村々は自立救済の世界を生き抜く集団として、きびしい内部規制をもった、ミリタリーな集団として存在していた。
4.民衆の自立が個人単位ではなく村単位だったということは、村のために犠牲となって命を捨てねばならないという事態をも招いた。そのひとつの例に、解死人(げしにん=下手人)がある。《勝俣鎮夫によれば、これは「喧嘩などにより人が殺された場合、被害者の所属する集団は、加害者の属する集団に下手人の引渡しを要求し、この下手人の差出によって和解するという習慣」であるが、この場合差し出される人間は実際の犯人でなく、その犯人の属する集団の成員なら誰でもよかった。解死人には童・女性・老人が立つ場合が多く、その場合処刑されることはなかったというが、注目すべきなのは村内に居住する乞食が立てられ、その場合村の身代わりとして死ぬかわりに子孫を村の正式の成員として遇するという褒賞が与えられていることである。乞食は領主に差し出す咎人の代わりにもされた。》
5.戦国時代(16世紀)は、惣村内で侍衆という階層に結集した有力農民が、戦国大名の家臣団に組みこまれ、さらには職農家臣団・幕藩制度家臣団の中核をなして行く一世紀だった。

●本論の筋の補足的な箇所ではあるが、親鸞の思想の「核心」について書かれた記述が、よくまとまっていて明晰だったので、引用しておく。
《親鸞(1173~1262)というのはむずかしい人である。その言辞は逆説にみち、容易に教条化を許さない。ただその核心が、人間という存在の救いのなさの、常人の次元を超えた徹底的な覚知にあったことは疑いようがない。人間は貧苦や病苦、老いや死を免れないから救われないなどと、説教坊主のようなことを彼は言わない。ただしずかに、われわれ人間はどんなに努力精進しても自力では救われぬと呟くだけである。たとえ貧苦や病苦、老いと死から免れていようとも、人間に救いはないのだ。その凝視は揺らぐことがなかった。
だから親鸞はまず何よりも、宗教の説く救済を否定してかわりに絶望を説いたのである。ただ、そこから彼は反転した。それが彼の宗教者たるゆえんであって、救いなき身であればこそ救いはすでに現前しているという、特異な救済の自覚がそこに成り立つ。この人の世が、さまざまな修行や善行によって救いをうることができる構造になっているのなら、人間にはもともと救いは要らないのだ。救いのないという事実が絶対であればこそ、救済の存在もまた絶対的なのである。絶望のないところに救済の要請があるはずはない。救われぬからこそ救われねばならぬのである。他力とはこのこと以外を意味しない。おのれの計らいをこえた救いをもたらしてくれるのは、いうまでもなく阿弥陀仏の悲願である。都合のいいときに阿弥陀仏が待ち構えてくれていたものだというなどと、つまらぬ皮肉は言うまい。親鸞のいう阿弥陀仏とは、大乗仏教に源を発するたんなる教説(ドグマ)ではなかったからである。阿弥陀仏はすべての衆生を光明のうちに摂受すると誓ったありがたい仏なのだから、その誓願が存在する以上、汝ら衆生の往生はすでに決定しているというだけのことなら、それを教学的に説けば一個の中世的ドグマにすぎず、それを盲目的に信じこめば一個の迷信にすぎない。親鸞にとって阿弥陀仏とは教説でもなければ観念でもなかった。(中略)
私は親鸞の前に、阿弥陀仏はかならずや、山河の姿をとって現れただろうと信じる。また、人間の生きる姿の悲しさとして現れただろうと信じる。親鸞にとって阿弥陀仏とは、人間も含めたこの世界という存在が語りかけてくる声ならぬ声にほかならなかった。つまり彼は絶対的救済者の現前を、たしかにひとつの肉感として覚知したのである。しかも、おのれの思惟や行為をこえた、まったく向こうのほうからやってくる他力としてそれを感受したのである。
親鸞は人間を含むこの世界の構造を、救いなき悪と覚知したのではなかったか。彼の悪の自覚は、説教坊主が説くように、わが身の悪をよく認識・反省し、そういう悪人たるわが身が生かされている不思議を思いみて感謝の心をもちなさいといった、そんな程度の悪の認識なのではなかった。反省してどうにかなるような悪なら、そもそも救済は必要とせぬ。親鸞は現実世界内の倫理を説いたのではない。彼が必死に尋ねたのは、世俗世界を超えた次元での救済だった。
宗教はこの世での人間の身の処し方を説くものではない。むろんそれが世俗社会のひとつの構成要素として在る以上、宗教は独自の倫理体系を発達させることになる。しかしそれは宗教の本義ではない。親鸞はあくまでも宗教者だった。宗教事業者、つまり宗教の宣布者・組織者だったのではない。宗教者というのは神を感受する人である。そして親鸞の場合神は、救いなき身という虚無の徹底的な覚知があって初めて出現した。そういう特異な神であった。それは彼が、救済が先験的に拒絶されている世界の構造を覚知しながら、それゆえにこそ同時に、すでに救済されているもうひとつの世界の相を覚知したことを意味する。このあたりはまさに言語を超えた世界であって、それが、山河あるいは人間の生きる悲しさとして現れただろうというのは、ただ私のひそかな思念にすぎない。》

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by daiouika1967 | 2008-09-30 10:03 | 日記  

9月28日(日) 晴のち曇

●朝晩と寒くなった。数日前までまだ夏が残っていたのに、もうめっきり秋だ。

●午後、安岡章太郎『戦後文学放浪記』(岩波新書)を読む。読了してから、布団にもぐりこんで、1時間ほど昼寝。

『舌出し天使』のモデルとなった服部達のスケッチ。
《父からこんな便りがきた、母の発作がますます劇しく、この分では入院させることを考えなければならない、という。私は、その手紙を服部に示し、それから何か母に対して偽悪的に冷淡なことを言った。すると服部は、眼鏡の奥から無言のまま暗い眼をジッとこちらに向けて、かすかに皮肉な笑いを浮かべた。―服部がなぜそんな笑い方をしたのか、これは私にはわからない。たしかに言えることは、彼はシニシズムの底に或る優しさを秘めており、その優しさで私を刺したということだ。》

小島信夫のスケッチ。
《傑作なのは小島信夫で、彼は文士のなかで最もクラフトマン・シップにとんでおり、二階の部屋によく閉じこもっていたが、あくる朝、編集者が部屋を覗くと、小島はバネ仕掛けのデスク・チェアーをばらばらに分解したまま、茫然と突っ立っていたりする。つまり、彼は原稿を書こうとするうちに、椅子の具合が気になって、ちょっとだけ直すつもりが、ついに一晩中かかって椅子を完全に分解したまま、組み立て不能になったというわけだ。私には、そのようなクラフトマン・シップはないが、小島の泣きたいような心情はよく理解できる。
文章を書くのも、工作作業に似たところがあって、どこか一箇所、気になるところを掘り返しているうちに、だんだん手直しの範囲が拡がって、ついに全編を最初からやりなおさなければならなくなったりする。たとい短編小説でも、やっと半分近く書き上げたところで、間違いに気づき、書き直しているうちに全体がバラバラになってしまうときは、まったく絶望的な気分になる……。カン詰めの仕事場で、自分の坐っている椅子が気になり出すのは、おそらくそういうときなのである。》


●夜、実家でカニすき。チュウハイを飲みながら、父と政治談議を交す。床屋談義の類だ。11時過ぎに帰る。
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by daiouika1967 | 2008-09-29 11:05 | 日記  

9月27日(土) 晴

●6時頃、Pに餌を催促され、ぼうっとしたまま起き上がり、餌を与え、そのまま起床する。
うつらうつらしながら、中村彰彦・山内昌之『黒船以前 ―パックス・トグワーナの時代』(中公文庫)の残り半分を読み了えた。

●大航海時代、近代初期。日本もまたスペイン、ポルトガルを中心とする西欧の政治動向、世界の各地域を巻き込んだ新たな物流の流れのなかにあった。戦国大名たちもまた、イエズス会の宣教師たちから情報を得て、各自その動きに反応していた。
1.関ヶ原、大阪冬の陣で食いつめた連中が海外へ渡航し、フィリピンなどでスペインやポルトガルの傭兵になった。
2.メキシコ銀、日本銀を動かしていたのは、スペイン人、ポルトガル人だった。
3.イエズス会はルターやカルヴァンに対する対抗勢力として、軍隊と同じ、上意下達、絶対服従の非常にミリタントな集団だった。
4.戦国武将は、ポルトガルの風物を、「ファッション」としても受容した。秀吉はベッドで寝ていたし、細川忠興は入信もしないのに十字架の旗を立てて戦うのがかっこいいと思っていた。信長のようにビロードのマントを着た武将もいる。西洋音楽もしかり。
5.浅野長政は、スペイン、ポルトガルが攻めてくるのではないかという危機意識をもって、秀吉に進言した。
秀吉はスペイン、ポルトガル、フェリーペ2世の存在を、かなり強く意識していた。
スペインあるいはポルトガルと明が連携して日本をたたくことを、秀吉は恐れていたのではないか。
6.スペイン人、ポルトガル人は、当時の武張った日本の「武威」に、かなりの驚異の念を覚えていた。フェリーペ2世が秀吉に送った低姿勢の文書からも、そのことがうかがわれる。
7.当時の日本では、領土獲得欲が、日本を統一して、といつする国がなくなったあと、やみくもに外へ出ていくという、すさまじい無限運動になっている。
それは、日本でいう「天下」という観念と、「国家」という観念とが明白に区別されていないところに関係している。つまり、自分の支配地域の広く及んでいくところに天下観念はあった。しかし、日本という一つの独立した国家体系というものが、どのようにして他の独立世界を認めながら交わっていくのかという問題意識はない。
「天下」とは、他国のない「世界」全体のことであった。「世界」の主を目指す無限運動のなかで、秀吉の誇大妄想はどこまでも膨張していく。
8.日本では、古代から東国と西国に分かれていた世界が、応仁の乱あたりから事実上、東西のヒトの移動を通して一体化した。このとき、秀吉は、東国のダイナミクスを十二分には理解していなかったのかもしれない。貴族志向のあった秀吉は、あるいは政治地理感覚も、律令時代の京の貴族の枠を出なかったのかもしれない。

●家康、秀忠、家光の徳川三代は、当時の武断政治から文治政治への移行を、そのもっとも大きな政治的課題とした。
そんな状況の中、秀忠の子、つまり家光の異母弟であった保科正之の存在が、強い光を放っている。
徳川三代、保科正之ら、いわゆる関ヶ原の戦後世代の、それぞれの個性がいい方向に働いて「パックス・トグワーナ」の基礎ができた。

●午後、渡辺京二『アーリイモダンの夢』(弦書房)を読む。

著者は、「近代」を、ふたつの時代区分に分ける。その「早期の近代」を「アーリイモダン」と呼び、そこには現代に繋がる「西欧の近代」とは違った世界があり、違った歴史の可能性があった、と説く。
著者は、西欧圏以外に、それと同等の規模をもつ、東アジア圏、オスマントルコ圏があった、と指摘する。

《ウォーラーステインによれば、15世紀に誕生したヨーロッパ世界経済が次第に成長して今日の近代世界システムになったということになりますが、実は19世紀の中ごろに生まれた新しいシステムは(それが世界を制覇したのですが)、15世紀以来のヨーロッパ世界経済からの連続とは単純にはいえないのではないか。むろん連続の面はあるにせよ、そこには断絶があるのではないかと思われます。(中略)
15、6世紀に形成されたヨーロッパ世界経済は、18世紀まではまだ全世界を同化し統合するような力はもちませんでした。それがついに全世界を呑み込むに至ったのは、19世紀半ばに出現した新しい事態によるものです。18世紀においてはヨーロッパ世界経済が全世界的システムになるかどうかは未定であったわけで、それを初めから世界システムとなるべきシナリオで描き出すならば、なるほど悪しき西洋中心主義といわねばなりません。》

《ある時期まで多元的な展開を示していた人類の諸社会・諸文化が、加速的に西洋のモデルの近代化によって一元化されるというのは、実は大変厄介な問題を含んでおります。その一元化は十九世紀後半以降のヨーロッパ的近代が一種の普遍性をもっていることによって生じています。何らかの普遍性を想定せねば、その侵食力を理解することはできません。その普遍性は科学技術にもとづく生産・消費の効率化大量化、脱宗教による世俗化・合理化、様々な共同体を解体する個人化、近代的人権とデモクラシーにもとづく平等主義的政治システムなどにわたって認めることができるでしょうが、このようなシステムないし価値を生み出したのがヨーロッパであったこと、他の地域は自力でこのようなものを生み出すことがなかったというのは厳然たる事実です。ウェーバーの関心が、このような世界普遍性をもつ思考・制度・技術がなぜヨーロッパだけに生まれたのか、換言すれば「近代」はなぜヨーロッパに生まれてほかでは生まれなかったのかという一点に向けられていたのはご承知の通りです。
ところが、このような世界普遍性をもち、事実そのことを過激な侵食力で示している西洋近代文明が人類史の普遍的な王道であるのか、他地域はみな近代化=西洋化という力学に従わねばならぬのかという点になると、話は単純ではなくなります。先ほど私が厄介といったのはそのことです。(中略)
今日のような近代技術文明を生み出したヨーロッパの歴史は、広く人類史の見地から見ると非常に偏ったものではないか、それは人類史からの偏奇ではないかという問題意識が、かなり以前からヨーロッパ人自身によって抱かれておりました。たとえばカール・ポランニーがそうであり、オットー・ブルンナーがそうであります。ポランニーはオーストリアに生まれアメリカに亡命した経済人類学者ですが、資本主義が生み出した自己調整的市場を異常な変態とみました(『大転換』1944年)。オットー・ブルンナーは戦後のドイツ史学界を代表する歴史学者ですが、ヤン・ロメインという学者の説をひきながら、ヨーロッパ近代は「一般的な人間の型」からの「偏奇」ではないかと問題提起しています(『ヨーロッパ-その歴史と精神-』1968年)。》

《17、8世紀の全地球的アーリイモダンは文化的多様性を保持しつつ様ざまな可能性を蔵していた世界であって、それが19世紀以降現実にそうであったように西洋モデルの近代に収斂せねばならぬ必然性はなかった。これを今ばやりのタームに置き換えるなら、17、8世紀段階のグローバリゼーションはまだ環大西洋世界にしか及んでいなかったので、ポルトガルを初めとする初期海上帝国はたとえばアジア各地に貿易拠点を築いたにせよ、その貿易なるものは既存の環インド洋貿易、あるいは南シナ海貿易のシステムに便乗したにすぎず、アジア諸国家に実効的なインパクトを与えるような力は全く持っていなかった。
だとすると、わが徳川社会をその一翼とするアーリイモダンは多様な近代の可能性を胎んでいたわけで、わが国の近代アg西洋主導の近代世界システムに包含される形でもたらされず、徳川的アーリイモダンの自主的な展開の上に出現したのであったならば、一体どのような様相を呈したであろうかという想像を禁じがたい。
おそらく日本独自の近代は、徳川政権が全国を天領化する方向でしか開かれなかっただろう。もしそれが可能だったならば江戸時代人の様ざまな欲望や能力が花開いて、西洋近代のそれと異なってはいても、自由と平等という近代的理念が日本独自の形で定着していたかもしれない。》


●著者は、イヴァン・イリイチの「ヴァナキュラー」という概念を敷衍して、グローバルな価値観で統合された単一的な世界ではなく、人類という種の同質性からゆるやかに統合された、多様性を保った世界のヴィジョンを構想する。

《問題は民族間の敵意と紛争を生みだす差異としての民族文化が、同時に、主体として環境世界と他者と交わる能力を人間に与える基盤だということにある。われわれはおのれの属する文化を通じてしか世界に到達することができない。このようにナショナルなものを媒介せずにはインターナショナルに通じえないという逆説をいかに切開するか、われわれの課題はその一点にかかっている。
一切の言語は混血言語であり、文化もまたしかりという今ばやりのクレオール文化論の立場からすれば、血路は文化の混血を促進する方向に開ける。混血は確かに共存へのひとつの手がかりだろう、しかし混血の永久運動というのは夢想にとどまる。混血の結果誕生するクレオール文化とは、それ自体ひとつの新しい民族文化にほかならない。
民族紛争の激化という人類共存の夢を裏切る事態は、実は世界のボーダーレス化が招いた新しい事態であって、民族主義というふるい亡霊の仕業ではないということに気づくことが大事なのだ。民族は適当な距離を保ちつつ、それぞれの国土に棲み分けている限り、やたらと殺しあうものではない。このような棲み分けこそ相互の有益な交流と敬意を保証するのである。棲み分けを崩壊させ、民族を万という単位で集団的に流浪させているのは経済という名の化物である。風土に根ざした文化を壊滅させ、代償として古き民族主義の亡霊を喚び起しているのも、おなじ名の化物なのである。》


●ラフカディオ・ハーンについて。ハーンもまた、「ヴァナキュラー」な世界に生きることを希求した人だった。ハーンにとって、「ヴァナキュラー」な世界とは、どんな世界だったのか。ハーンにとって、それは、イマジネーションの基盤を与えてくれる世界のことであり、イマジネーションによって生を賦活することのできる世界であった。

《いわゆる「現実」だけではハーンは生きられない。そうではなくて、我々の現実の中に過去が浸透してくる。ひょっとしたら未来も浸透してくるかもしれない。あるいは人間だけの世界ではなくて、他のいろいろな異界のものたちの侵入してくるような世界、そういう想像の世界でないと、生命というものを彼は感じられなかった人だったのではないかと思います。万物と魂の交流のあるような世界、こうであるべきなんです。》
《彼はその土地、その土地に根付いている精霊というもの、霊が好きなんです。その土地その土地に風土がある。そこに根ざして生きている土俗的な世界がある。そこでさまざまな、その土地の精霊に関する話が紡ぎだされる。そういう世界に彼は引き込まれて、そこでしか生きられなかったんですね。》


●石牟礼道子について。彼女にとってもまた、「世界は世間ではなくファンタジー」だった。宮沢賢治に近い感性をもった作家である。

《彼女の作中人物は世間を超えたところ、あるいはそれからはずれた場所に生きていて、現実という膜を通してもっと永遠なものの相にふれたところがあります。彼女が狐や狸、山や海辺に棲むもろもろのあやかしどもを好んで登場させるのも、この世だけが世界だとは思っていないからです。この世はいつでもあの世に変換されうるので、そういう彼女の世界の多重性・多次元性はむしろ中世文学に近いのかもしれません。》
《ふつう作家が世界のなかの一事象を見る場合、むろんそこには一種の混沌が表れるのですが、彼はそれをコントロールして、ひとつの明確な図像にまとめあげるのですね。つまり文学的なことばの連なりになるように、複雑な要素は切って捨てるのです。わっと一斉に立ち上がってくるイメージを抑制して、文学的あるいは美的な表現に固定するのです。作家によってはそもそも、一斉に立ち上がってくるイメージをある事象から受けとるということがない、あるいはそれが弱いという人もいるかと思います。石牟礼さんは万象から一斉に混沌としたイメージが大量に湧き上がってくるタイプの作家なのですね。そしてそれを出来ることなら全部いっぺんに書こうとする。(中略)そういう書き方をするとわかりにくくなりかねないし、また混乱しているような印象を与えかねません。しかし、それがうまく行ったときは、複雑多様なものをみごとにおさえこんでゆくすごさが現れてくるわけです。》
《近代に対する石牟礼の絶望の深さ。近代の学者のことば、官僚ことば、ジャーナリストことばへの石牟礼の根源的な違和感は、海と空と大地にはぐくまれた生命の連関とざわめきを、近代の諸制度が隠蔽し破壊してきたことへの反応なのだ。生命も実在も世界もいわく言い難い。この言い難いものに迫ろうとするのが詩人石牟礼道子の言葉である。概念語に頼らない暗喩の哲学。》


●<ジュンク堂>で、渡辺京二『日本近世の起源 ―戦国乱世から徳川の平和(パックス・トグワーナ)へ』(洋泉社)、小泉八雲『神々の国の首都』『明治日本の面影』(平川祏弘編 講談社学術文庫)を買う。
渡辺京二『日本近世の起源 ―戦国乱世から徳川の平和(パックス・トグワーナ)へ』を読み始め、210ページまで読み進む。

●夜、別冊宝島編集部『僕たちの好きな京極夏彦』(宝島社文庫)を読む。155ページまで。大泉実成による水木しげるへのインタビューがおもしろかった。

《(妖怪は)見える見えない……というより、「感じ」です。これが大事なんですよ。私なんかは、妖怪を描いているときには、霊界にひたっているわけです。これは気持ちいいですよ。考えてみれば、女性の裸とかセックスやってるとこを描いているのと同じかもわからん。そういうものを描いていると、そういう「感じ」になっちゃうわけです。京極さんもそうなのかはわかりませんけどね。妖怪をいじくっていると、その世界に入ってしまうわけです。》
《妖怪というのは、非常に日本的なんですよ。ただ、これで金儲けしようとすると、妖怪は滅びるんです。だから、普通にやっていればいいんですよ。小説のように、地道にやっていれば増殖するんです。大仕掛けにすると、妖怪は消えてしまいます。》

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by daiouika1967 | 2008-09-28 10:41 | 日記  

9月26日(金) 雨のち曇

●午前中は雨。ときどき雨足が強まり、雷が鳴っていた。その間、家でパソコンに向かい、事務仕事を済ます。

午後からは、打ち合わせ、サウナで仮眠、打ち合わせ、とつづく。

夕方、<ブックオフ>に寄って、青木貞茂『文化の力 ―カルチュラル・マーケティングの方法』(NTT出版)、養老孟司『無思想の発見』(ちくま新書)、安岡章太郎『戦後文学放浪記』(岩波新書)を買う。

夜、もうひとつ打ち合わせの予定があり、電話がかかってくることになっていた。電話を待ちながら、テレビをながめて、ぼんやりと過ごしていたのだが、けっきょく電話はかかってこなかった。12時半までテレビを眺め、ベッドに入った。
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by daiouika1967 | 2008-09-27 06:55 | 日記  

9月25日(木) 晴のち曇、夜になって雨

●ここ数日で急に涼しくなった。それですこし風邪気味なのか、気圧の加減か、今日は右のこめかみがズキズキと痛んだ。顔の右半分が、麻酔にかかったような違和感がある。
打ち合わせがいくつか重なった。話を盛り上げて、その勢いでなんとなく乗り切ってしまうような「打ち合わせ」が、今日はうまくいかなかった。言葉が出てこないというのではなく、いつもと何が違うわけではないのだが、でも何かが違う。言葉が空回りしているような感じ。

●打ち合わせの合間に、中村彰彦・山内昌之『黒船以前 ―パックス・トクガワーナの世界』(中公文庫)を読む。150ページ程。
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by daiouika1967 | 2008-09-26 19:51 | 日記  

9月24日(水) 晴

●今日も秋晴れ。気持ちのいい天気。そこはかとなく寂しいような気もする。それも含めて気持ちがいい。

嵐山光三郎『文人暴食』(新潮文庫)の残り半分を読む。平塚らいてう、折口信夫、荒畑寒村、里美弴、室生犀星、久保田万太郎、宇野浩二、佐藤春夫、獅子文六、金子光晴、宇野千代、横光利一、吉田一穂、壺井栄、稲垣足穂、草野心平、平林たい子、武田泰淳、織田作之助、向田邦子、寺山修二。

●夜、9時過ぎに幼馴染のTから電話があり、打ち合わせがしたいという。車で迎えに来てもらい、近くのファミレスへ向う。やくざのT2と3人で仕事の話をする。夜中の1時過ぎまで。カフェインの取りすぎで、軽い目眩が起こる。
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by daiouika1967 | 2008-09-25 10:24 | 日記  

9月23日(火) 晴

●秋分の日。窓を開けて眠っていたら、明け方すこし肌寒くなり、掛け布団にもぐりこむ。
朝起きて、ベランダに出ると、いわし雲の浮かんだ、秋らしい空が広がっている。よく晴れて、いい気持ちだ。

嵐山光三郎『文人暴食』(新潮文庫)を読み始める。
『文人悪食』として纏められた連載の、これは続きにあたる。『文人悪食』は、去年、台湾旅行の最中に読んでいたことを、ふと思い出す。旅行中読むと、その本を読んだことが、よく頭に残る。
文人の、食にまつわるエピソード、捉え方を、文人自身の書いたもの、周りの人間の回想などから引っ張って、まとめてある。食は、人間の基本的な欲望のひとつだから、それとどう関わっているかを書くことで、文人それぞれの個性が浮かび上がってくる。一篇が22、3枚のエッセイである。
今日は、小泉八雲、坪内逍遥、二葉亭四迷、伊藤左千夫、南方熊楠、斉藤緑雨、徳富蘆花、国木田独歩、幸徳秋水、田山花袋、高浜虚子、柳田国男、鈴木三重吉、尾崎放哉、武者小路実篤、若山牧水の章を読んだ。250ページ程。
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by daiouika1967 | 2008-09-24 10:08 | 日記  

9月22日(月) 晴

片岡義男『白い指先の小説』(毎日新聞社)を読む。
女性の小説家と男性のカメラマンが登場する短編が四つ収められている。「本を買いにいった」90枚、「白い指先の小説」90枚、「冷えた皿のンディーヴ」60枚、「投手の姉、捕手の妻」120枚。
登場する女性はみな美人だ。美人で、さっぱりした性格をしている。彼女たちが、小説を書き始める。彼女たちの身に、特別な事件が起こったわけではない。“美人でさっぱりした性格”の彼女たちは、その内部に、物語へ向う「孤独」というのか、「断絶」を抱えている。
そういった設定がまずあって、そこから、小説が構想されている。
片岡義男の文体は好きなのだが、この小説集は、読み終わるまで、もうひとつ乗り切れなかった。

車谷長吉『四国八十八ヶ所感情巡礼』(文藝春秋)を読む。
車谷長吉の最新刊。著者が四国のお遍路さんを歩いた記録が、日記形式で綴られている。
任意に一日分、抜書きする。

《三月十四日(金)
雨。
宇佐大橋の近くから船に乗る。乗客は三人だけだった。派手な格好をしたお婆さん遍路が、船内で足を伸ばしたり、引っ込めたり、ストレッチ体操をしていて、目触りだった。浦ノ内に着く。そこから歩いて須崎へ。お天気が悪いので、気分は憂鬱だった。
今日は遍路道で、私たち以外のお遍路さんには逢わなかった。みんな一円でも安く上げようと、先へ先へと行ってしまう。私と順子さんはゆっくり。お遍路に来て世俗の悪臭が脱けないのは阿呆だ。私たちは俗世の悪臭から抜けたいがために来たのである。
浦ノ内の海の見える道でうんこ。雨の溜まり水で手を洗う。それを順子さんがじっと見ている。
東京を出てから、今日で一ヶ月目。思っていた以上に山道がきつい。足を痛めている順子さんはタクシーで先へ行ってしまう。
夕飯にチャンバラ貝が出る。私は京阪神で料理人を八年勤めたが、こういう貝は見たことがない。面白かった。チャンバラ貝は、貝の蓋が鋸のようになっていて、貝同士がそれで以って喧嘩をするのだそうだ。
ライターの油が切れた。「粗大ごみだから、これ捨ててよ。」とつい言うと、順子さんはそれを聞き咎めて「ライターは粗大ごみではありません。」と眦を吊り上げる。順子さんはこういう風に、一つ一つ揚げ足取りをする。ライターは「粗大。」ではないけれど。東大出の人はむつかしい。実に詰らないことに、こだわる。これは結婚以来のことだ。揚げ足取りの好きな女。》

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by daiouika1967 | 2008-09-24 09:43 | 日記  

9月21日(日) 雨のち曇

●終日、雨。午前中医者に行った妻とともに7時に起きるが、特に何をするでもなく、ぼんやりとテレビを眺めて過ごす。<ザ・サンデー>という番組で北朝鮮の街の様子を隠しカメラで撮った映像が流れていた。ホームレスの姿が目立つ。日本にもアメリカにもホームレスはいる。しかし北朝鮮のように、社会全体が貧しい中でホームレスの境遇を生きるのは、さらにより過酷なのだろうと想像がつく。スタジオには脱北者が何人か招かれ、祖国の惨状を、涙を溜めて見つめていた。その姿に、こちらも涙を誘われる。

●昼、名駅まで妻を迎えに行き、<エスカ>でタンタン麺を食べた。<ビッグカメラ>に寄り、ミニコンポ、ブルーレイ、スーパーモバイルなどを眺める。
妻は病院で麻酔を打ってきたようで、午後は、ずっと眠っていた。おれも、何もやる気が起きず、ずっとWiiマリオカートをやって時間を潰した。

●昨日読んだ、村田喜代子『名文を書かない文章講座』から、あといくつか、メモ、引用。

4.描写について。描写は、対象を見たままにデッサンすることではなく、あるテーマに沿った見方、作為のある視線で、対象を切り出すことである。

《描写は読んで字のごとく、風景や情景、人物などの様子を紙に描き出すことだ。描き出すという点では絵画と似ているが、ただ、デッサンとは違うのである。デッサンは見たままを描くが、文章のなかの描写はありのままを描くものではない。
描写は自分の目に映った形を、壊すところから始まる。描写するということは、意図という作為を持つことだ。
たとえば目の前に赤ん坊がいる。これを見たままデッサンすると次のような文章になるだろう。

赤ん坊が眠っている。生後まもないので、両手を上げてしっかり握り締めている。細くて柔らかい頭髪。眉毛も睫もまだ生えそろっていない。ひたいや頬の皮もカサついて、白い粉をふいている。夢を見ているらしく、ときどき瞼がヒクヒクした。

これを描写に変えると、どうなるだろう。それにはまず作為がいる。眠った赤ん坊をどのように意図的に見るか。つまりテーマに沿ってどのような見方をするかである。それによって文章は変わってくる。描写の文章はテーマの手足となって働くのである。生まれたばかりの命の実感を見るならば、次のような描写になるだろう。

赤ん坊は眠っていた。やっとこないだ生まれてきたばかりで、髪はうぶげみたいに細い。眉毛も睫もなくて、顔の皮膚もしわしわだ。ようやくこの世の波打ち際へたどり着いて、首尾を果たして、今はぐったりと眠っている。それでも握り締めた小さな手に、小さな自分の命をつかんでいる。何を夢見ているのか、瞼をヒクヒクさせた。

ここには作者の主観がある。その主観が文章を独断的に引っ張るのだ。なぜなら赤ん坊は母親のおなかから出てきたのであって、この世の波打ち際などという所にたどり着いたのではないし、また命も自分の手でつかむことはできない。しかし、上のように描くことで文章が生きるのだ。
では今度は、母親が喜びと愛情の目で赤ん坊を見るとどうなるか。今度はその見方に沿って主観が塗り替えられる。

赤ん坊がバンザイをして眠っている。柔らかな髪の毛が淡く、やっと頭を覆っている。まだ眉も睫も生えてなく、しわしわのお猿のようだ。小さな手をキュッと握り締めて、小さな息をして、どんな夢を見ているのだろう。愛らしい瞼がヒクヒク動いている。》


5.文章の書き分けについて。エッセイや小説の文章は、①地の文。②描写。③セリフ。の三種類の文章からできている。

以下は、同じ内容を三種類の文章で書き分けた例。
①地の文。
《子どもの頃、不思議な歌を聞いた。中学生の従姉はキリスト教の学校に通っていて、わたしは修道院の先生が珍しく、よく運動会について行った。ダンスの演目が始まると、タタカイオエテ、タチアガル、ミドリノサンガ、という歌が流れた。冒頭の部分は、戦い終えて立ち上がる、であることはわかるがその次の、ミドリノサンガ、というのが不可解だった。友達はミドリノサンというのは人の名前だろうと言う。それで、戦争が終わって緑野さんという偉い人が立ち上がったのだ、と言うのだった。けれど奇妙なことにそんな人物の名前は、社会科の教科書にも出てこない。》
②描写。
《修道似姿の教師が笛を吹いた。白の体操服に黒のブルーマーをはいた少女達が行進してきた。また笛が鳴る。運動場一杯にスピーカーから音楽が流れ、ダンスが始まった。タタカイオエテ、タチアガル、ミドリノサンガ―。
ノッポの光子が最前列で踊っている。わたしは隣の雪子に囁いた。
「ねえ、ミドリノサンガって何のこと?」
「きっと緑野さんっていう人間よ。偉い人なのよ」》
③セリフ。
《「子どもの頃、従姉の通っているキリスト教のね、修道尼姿の教師が珍しくて、よく運動会を観に行ったものよ。そこでわたし、不思議な歌を聞いたの。女子のダンスの演目だけど、タタカイオエテ、タチアガル、ミドリノサンガ、っていう歌詞だったわ。タタカイオエテは、つまり戦争が終わってという意味だってわかるけど、ミドリノサンガっていうのが不可解なのね。友達は緑野さんていう英雄みたいな人物がいるんだろうと言うけど、でもそんな名前は教科書に載っていないの」》。

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by daiouika1967 | 2008-09-23 10:45 | 日記  

9月20日(土) 晴のち曇

●台風はどうなったのか、朝にはもう空は晴れていた。

せきしろ『不戦勝』(マガジンハウス)を読む。

ボールを七個集めると願いが叶う。ある日そんなメールを受けた「僕」のもとに、勝手に次々とそれらしきボールが舞い込んでくる。母親からの仕送りのなかに紛れていたり、ネットオークションに出品されていたり、「僕」はとくに努力することもなく、ボールは続々と集まってくる。はたして、ボールは七個集まるのか、そして「僕」の願いは叶うのだろうか。

この小説ではしかし、そんな「物語」は、「僕」の暇から分泌された、無駄としかいいようのない「妄想」のなかに埋もれてしまう。亀和田武の推薦文を引くなら、―《ここまで「無駄」がこれでもかとギュウギュウづめされた小説を、私は知らない。思想も主義も感傷もかけらもない。あるのは、エッジの効いた、かっこいい無駄な文字ばかりだ。そして「妄想」が本のあちらこちらに、とぐろを巻いている。物語が動き出そうとすると、突然「妄想」が主人公の頭でぐるぐる渦を巻く。物語は、物語は……。濁流のように流される妄想に飲み込まれ、姿を消しそうになる「物語」。願いがかなう七つのボールを捜し求める冒険は、無駄と妄想に打ち勝てるのだろうか?》。

スチャダラのリリックに、「蛇足というが、蛇に足、……いや、それだけじゃなく、耳、羽、角、とどんどん描き足していく過程、その過程こそがおもしろいのだ」という意味のフレーズがあったが、この小説はまさにその「蛇足」ばかりでできあがっているようなものである。
この小説の主人公は「授業もほとんどなく、就職活動もしていない、大学5年生の男子」、人生のエアポケットともいえる状況にいる、ほんとうの「暇人」である。そして、こうした「蛇足」を遊ぶ精神は、暇をもてあます人間の特権的な所有物なのである。

無駄を描くというのは、じつのところ、読んでいて退屈な描写に堕しがちで、それを免れるために、変なオチをつけたりして、コントのようなものになってしまうことが多い。じっさいに無駄を生きている人間は、その無駄に、退屈だけではなく、ある快楽を味わっているものである。しかし、無駄をそのまま書いて、その無駄の快楽を伝えるには、相応の文章力が必要になる。
例えばこの小説で、「僕」が、道の向こうに落ちている物体を発見し、「ボールだ!」と駆け寄る場面がある。しかし近寄ってみると、ボールだと思っていたその物体は、ボールではなく腐った果実だった。「僕」はその果実を軽く蹴ってみる。
その辺りの描写を引用する。かなり長いのだが、無駄なところを端折ろうとしても、全編無駄といえば無駄な場面なので、端折るポイントがつかめない。そのまま引用する。

《僕は果実を軽く蹴った。果実は完全な球形ではなかった。少し横にブレながらも軌道を真っ直ぐに保ち前方へと転がっていった。歩いてまた果実のもとに到着すると、僕は再び蹴った。果実はまた前方へと転がっていった。それを何度も繰り返しているうちに、僕はいつしか「できるだけ長く蹴り続けよう」と考えるようになった。「蹴り続けないと死ぬ」と自分の中で縛りも作った。
何度か蹴った後、今度は利き足ではない左足で蹴ってみた。やはり蹴り慣れていない足では上手く蹴ることができない。果実は斜め前方に転がっていった。
果実が転がっていく方向に自動車が停止しているのが見える。このまま転がっていけば果実は車体の下に入ってしまうだろう。すると僕はもう蹴ることができなくなってしまう。
「しまった!」
先程『蹴り続けないと死ぬ』という自分内ルールを作ったばかりだ。僕は慌ててルールを廃止した。
案の定、果実は自動車の下に隠れてしまった。
果実蹴りは終了だ。もう蹴ることができない。道端に落ちていた果実ごときで喪失感を覚えつつ、僕は停車中の自動車の横を通りすぎた。すると、目の前に先程の果実が現れた。車体の下に潜り込んだ果実はそこに留まることなく転がり続け、そのまま通過していたようだ。
僕はまた果実蹴りを再開した。今度は的確に丁寧に蹴ることを心がける。インサイドキックを多用し、意図する方向へ確実に果実を運べるように。
歩いているとわからないが、この辺りは割と起伏が多いようだった。蹴った果実が足下に戻ってくることで今自分が上り坂を歩いているのだと知り、蹴った果実が加速して転がっていく時は下り坂を歩いているのだと知る。そうこうしているうちに長い傾斜に差し掛かった。蹴りながら坂を上ることは多少の困難を伴った。だがその難しさがまた楽しい。そして頂上を越える今度はおもしろいように果実は転がっていく。スピードを上げ飛び跳ねるように転がっていく姿を見つめながら、僕はある種の達成感すら覚えるようになっていた。
僕は果実蹴りに没頭した。「ボールが友達」ならぬ「果実が友達」状態だ。いつしか辺りは見慣れない風景となり、電柱の住所表示は初めて訪れる区域を示していた。しかし僕はそれに気を留めることもなく蹴り続け、いくつもの上り下りを征服していった。
やがて勢いよく坂を転がっていった果実は、凸凹としたアスファルトの上で向きを変え、民家の塀に激突した。その衝撃で果実は割れてしまった。熟しすぎた果実のツンとした香りが広がった。割れた果実の無残な姿を西日が弱弱しく照らしていた。僕はその時初めてもう夕方であることに気づいた。そして周囲を見渡すと見知らぬ風景が広がっていた。ここは一体何処なのだろう。電柱の住所表示を見てもどの辺りなのか全く見当がつかなかった。
僕は芥川龍之介の『トロッコ』の少年と同じような状態になっていた。
ただ僕が少年と違ったことは、泣いたり走ったりしなかったことである。勘を頼りに大きな通りに出ると、駅を見つけて電車に乗った。》


この引用の冒頭近くに、「果実は完全な球形ではなかった。少し横にブレながらも軌道を真っ直ぐに保ち前方へと転がっていった。」という描写がある。これを、例えば「蹴ると果実は道を転がっていった」と省略すると、それ以上の展開を書くことが難しくなるだろう。果実の形状と動きの特性を書き込むことで、「果実を蹴る」等ということに“ついはまってしまう”、その理由が明らかになるのである。

無駄を描くためには、どんな現象、事物に対しても、満遍なく、脈絡なく、注意力を注がなければならない。

村田喜代子『名文を書かない文章講座』(朝日文庫)を読む。

1.文章を整えるのは、呼吸を整えるのと同じことだ。
2.書く前に、どれくらいの分量で書くのかを決める。そのことで、テーマの絞込みができて、全体の構成も決まってくる。
3.文章の世界へ、読者に「敷居を跨いで」もらうために、導入部はゆったりとした調子をとる。

とりわけ、この3点が、目から鱗が落ちた指摘。
しかし、読み返せば、また新しい発見がありそうな予感がする。

●<星野書店>で、村田喜代子『八つの小鍋 ―村田喜代子傑作短編集』『蕨野行 わらびのこう』(文春文庫)、西条八十『女妖記』(中公文庫)、中村彰彦・山内昌之『黒船以前 ―パックス・トクガワーナの時代』(中公文庫)を買う。
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by daiouika1967 | 2008-09-22 09:04 | 日記