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11月25日(火) 晴

昨日、一昨日と、まったく本を読まなかった。先週は、そういえば、あまり本を読んでいないような気もする(今、日記を遡ってみたら、じっさい、ほとんど読んでいなかった)。
それで、活字中毒の禁断症状が出たのだろう。
今日は、ランチを食べながら、内田樹『昭和のエートス』(basilico)を最後まで読んで、午後、ジュンク堂で、高橋源一郎『おじさんは白馬に乗って』(講談社)、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(中公文庫)、松岡正剛『白川静 ―漢字の世界観』(平凡社新書)を買い、午後はずっと『おじさんは白馬に乗って』を読んで過ごした。
高橋源一郎が『週間現代』に連載しているコラムをまとめた本で、ひとつのコラムにひとつ、しりあがり寿の4コママンガが付いている。三段組四頁のコラムが100編収録されているのだが、そのうち80編まで読み進んだ。
夜は、CDをヤフオクに出品する作業に、かなりの時間を費やしてしまう。3時間くらいか。英語の勉強ができずに、ちょっとイライラする。
1時過ぎに就寝。
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by daiouika1967 | 2008-11-27 00:16 | 日記  

11月24日(月) 雨

終日雨の祝日。10時過ぎに起きて、はっきりしないままの頭で、パソコンを起動し、しばらくいつものサイトを周回して過ごす。
昨日、水鉢の水を取り替えるとき、メダカの一匹が弱って横になって泳いでいるのを見つけたのだが、今日見るともう死んでいた。それで、いつもの公園に埋めに行くことにし、昼前、妻といっしょに傘をさして家を出た。
公園の隅の木の根元にメダカを埋め、公園に隣したところにあるうどん屋に入った。デラックス味噌煮込み(天麩羅が三種入った、大きな器に盛られた味噌煮込みだった。味は、不味くはないが、とりたてて美味くもない)を食べた。

2時頃家に着くと、携帯が鳴り、見るとNからだった。話したいことがあるんで、今から、ちょっと来られませんか?ということだった。遠慮のなさが、クライアントとしてではなく、友だちとしての扱いに変わっている。
いいですよ、と答え、会社に向かった。話したいこと、というのは、Nにとってはともかく、おれにとってはべつにたいしたことではなかった。例によって空騒ぎをして、5時過ぎに会社を出て、家に帰る。

夕方、黒沢清監督『アカルイミライ』を、見直した。
この映画では、クラゲが象徴的に扱われているのだが、この映画からクラゲを引き算して、起こっている出来事だけを繋げてみると、浅野忠信もオダギリジョーも、衝動的に殺人や窃盗を犯してしまうキレやすい若者ということになってしまう。
この映画は、その「キレやすい若者」の側に立って、そこから「ミライ」へ繋がっていく「希望」のようなものが見出せないのか、という思考実験であるようにも考えられる。
クラゲは、そうした「希望」の象徴として、浅野忠信、オダギリジョー、そして藤竜也のあいだで、共視されている。
黒沢清の映画を見ると、映画とは元来思考の道具であったということが、あらためて再確認できる。

8時ごろ、遅い夕食をとる。豚肉ともやしの炒め物、とろろ、五穀米。
夜はずっと、ネットを周って過ごし、夜中に、妻とコンビニに甘いものを買いに行く。おれはモンブランプリン、妻はミニプリンパフェ。太るなあと思いつつ、寝る前に食べて、2時過ぎに就寝した。
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by daiouika1967 | 2008-11-26 23:41 | 日記  

11月23日(日) 晴

10時に起きて、テレビを点け、「サンデージャポン」を見て、ベランダに出て、メダカの入っている睡蓮鉢の水を取り替えるのに1時間半費やし、日清の袋入りインスタント焼きそばを拵えて食べ、ホットカーペットに寝転がって、テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」を見て、録画しておいた「ノブナガ」、「アメトーク」を見て、うつらうつらして、寝起きのぼんやりした頭で「笑点」を見て、にぎりめしと味噌汁の質素な夕食を済ませ、「バンキシャ」「さんまのからくりTV」「ジャンクスポーツ」「行列のできる法律相談所SP」を見て、そうこうしているうちにもう夜の10時になった。10時過ぎから英語の勉強を2時間やって、テレビ漬けで腐りかけていた頭が、ようやく活性化したところで、一日が終わった。
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by daiouika1967 | 2008-11-25 01:25 | 日記  

11月22日(土) 晴

10時に目が覚めると、携帯がピカピカ光っていて、見ると9時過ぎに着信が入っていた。クライアントのNからの着信である。返信すると、仕事の話ではないが、今から来れないか、と言う。別に特別な予定はなかったので、いいですよ、と答え、出自宅をして、Nの会社に向かった。
Nの会社は、おれの家から、歩いて10分程度の距離にある。着くと、Nは、すいませんね、休みなのに。昼飯は奢ります、と、とりあえずは恐縮してみせる。
話は、じっさい、仕事の話ではなく、Nが最近知合った女の子をめぐる話題だった。
30歳になる女の子なのだが、金持ちの親に出資してもらい、自分でいくつかの事業を経営しているらしい。
Nは、その女の子とうまくいけば、逆玉に乗れるかもしれない、と皮算用しているのである。
しかし、そんな話を聞かせるために、わざわざおれを呼び出した、というわけではない。いくら家が近いからといって、おれとNとは、無為な時間をいっしょに過ごそうとしめしあわせるほど親しくはない。
「Mさん、おれと彼女がうまくいけば、その伝手を利用して何か金儲けできませんかね?」と、Nが言う。
「いや、いまのところ、漠然としすぎてて、具体的な絵は描けませんけど。でも、おもしろそうですね」と答えると、
「そうですよね。その子は人脈もすごいんで、おもしろいことになるんじゃないかと思うんですよ」とNが言う。

おれは、今までにも、「こんなすごい人と知合えたから、自分の人生もようやく開けるかもしれない。これから面白くなりそうだ」という類の話を、N以外の誰彼からもたくさん聞かされてきた。
しかし、その手の話は、ほとんどのケースで、けっきょくどうにもならないのである。
おれはその手の話を聞くことが多い。何を期待されているのかは分かる。おれに話を持ちかける誰彼はみんな、おれに、その「すごい人たち」に「食い込める」ような絵を描いて欲しがっているのである。
しかし残念ながら、おれには、そんな才覚はない。
みんなの目には、おれは毎日、ほとんどたいした仕事もせずに、ぶらぶら遊び暮らしているように映っているらしい。遊んでいるだけなのに、何か得体の知れない収入を得ていて、なんとなく生活が立っているように映る。そのイメージが、「あいつは“社会の秘密”のようなものに通じている、だから、自分にはどうにもならないことも、あいつならいい知恵をもっているはずだ」という、過剰な期待につながっているのではないか、と、どうも、そんな気がする。
もっとも、おれ自身、「正体不明なおれ」というイメージを自己演出しているところもあって、それはとくに何かを企んでのことではなく、ただ、その自己像を保つことが、おれのナルシシズムを満足させるからにすぎない。「あの人は特別な知恵を持っている」と評価されるのは気分がいい。それだけのことである。
それに、ありもしない「特別な知恵」を、さも自分が持っているかのように振舞っていると、何か瓢箪から独楽ではないが、意外に物事がうまく運ぶこともあるんじゃないか、という、おれ自身、本気で信じてはいないような期待もある。
けっきょく、Nのような人間と、さほど変わるところはない。

「Mさん、これこれ」と、Nがパソコンの画面を見せると、そこに、件の女の子のブログが映し出されていた。
プロフィールには顔写真も載っている。
「ああ、けっこう可愛いですね」と言うと、
「まあ、そこそこね」とNが答える。
「それで、こっちが……」とNがマウスを動かし、今度は自分のブログを表示させる。
上半身裸のNの写真が映っている。鍛えられた、筋肉質の肉体を、誇示するように、しかしさりげなさを装って撮ってある。
「……おれね」と言って、言った直後に破顔し、わははははと笑う。おれも、いっしょに、わははははと笑う。
「その女の子は、この写真、見てるんだ?」と訊くと、
「うん、見てる」とNが答える。
「それで、“いい感じ”になった?」と笑うと、
「いや、まあ、それだけじゃ、もちろん、ないけどさ」とNも笑う。
「まあ、でも、この肉体美は、武器になるかも」と、また笑うと、
「いやいや。まあ、でも、それは否めないかも」と、Nもまた笑う。
そんな空談で、ひとしきり空騒ぎをして、昼飯には寿司を奢ってもらい、2時過ぎには、Nの勤める会社を後にした。
昔は、こうした空騒ぎで盛り上がると、一人になったとき、なんともいえない虚しい気分になったものだが、最近ではもういちいち何も感じなくなった。

しばらく、本屋をうろついて、喫茶店に入り、内田樹『昭和のエートス』(basilico)のつづきを読む。200ページまで読み進んだ。B.G.M.はバッハ。1時間、バッハを聴きながら、活字を読んでいると、空談で散漫になった意識が、ぎゅっと凝集されるような感じがする。
夜は、英語の勉強、2時間。1時過ぎ、就寝。
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by daiouika1967 | 2008-11-25 01:01 | 日記  

11月21日(金) 曇ときどき雨

午前中、内田樹『昭和のエートス』(basilico)を買って、喫茶店に入り、1時間くらい読んだ。内田樹が新聞や雑誌といったメディアに掲載した記事が集められている。
午後からは、店に行き、年賀状の宛名入力。6時過ぎまでかかって(途中で美味しい賄いを食べた)、300件分ほど入力した。去年までの分とあわせて、1000件近くのデータベースが出来た。

マックスバリュに寄って、やきそばの材料を買って帰る。昨日の夜、妻としゃべっていて、彼女が焼きそばを食べたいというので、じゃあ明日作ってあげよう、という話になっていたのだ。
7時半頃、家に帰り着き、さっそく焼きそばを拵え、食卓に供する。椎茸と豚肉をたっぷり入れて、なかなか美味しく仕上がった。

食後は、ホットカーペットの上で、テレビを眺めて、すこしまったりする。けっきょく、そのまま眠ってしまった。10時過ぎくらいから、記憶がない。夜中に目が覚め、ホットカーペットを消して、ベッドへ這いずっていく。妻も今日は早々に眠ってしまったようだ。パソコンも点けたまま(節電モードで画面は消えていたが)、ベッドのなかでスースー寝息を立てていた。隣にもぐりこんで、すぐに眠りに落ちる。
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by daiouika1967 | 2008-11-22 22:20 | 日記  

11月20日(木) 晴

朝、10時から、クライアントと約束があって、9時に起床し、急いで仕度をし、9時半には家を出た。
10時から1時まで、打ち合わせをし、その後、いっしょに行ったK君と、5時まで打ち合わせをした。

昨日から、不安のない、穏かな心持がつづいていて、そのことと関係あると思うのだが、まるで夢を見ているように、自分自身をどこか俯瞰的に眺めているような自分がいる。
自分自身を突き放して、状況の中のひとつの要素として眺めている、といったような感じで、たとえばドッペルゲンガーを見るときというのは、こんな心理状態にあるのではないか。
病的な状態なのかもしれないが、普段とは違ったこの感覚を、おれはけっこう楽しんでいる。
むしろ、おれはいま、普段よりずっと高度な脳の使い方をしているのではないか。そんなふうにすら感じる。
たとえば、桜井章一が言う「流れが見える」という状態に近いのではないか。
たしかに、話をしていても、相手の聞き役になりながら、自分の言いたいことは、むしろ普段よりも自然に相手に伝えられているように感じる。話の「流れ」にうまく溶け込めている、ということだろう。

夜、中国のテレビドラマ?『西太后』の第二部(完結編)を観る。
ショットは凡庸だし、物語の語り口は大げさでかったるい。ただ、展開があまりに遅いので、観ているうちに、だんだん物語を追うのが困難になって、そこに映し出されている広大な建築物や衣装の絢爛だけが、印象に残るようになる。そこが、おもしろいといえばいえるところだろうか。
つづいて、1996年の大映映画『シャブ極道』を観る。主演は役所広司。早乙女愛、渡辺正行が準主演。シャブを広めることが、世の人を幸せにする、と信念をもったやくざの半生記。
その設定から、B級っぽいVシネかと思っていて、尺も90分くらいのものだろうと先入観を持って観始めたら、160分もあった。途中から、おい、まだ続くのかよ、と思いつつ、160分見通した。なかなか、この時間をもたせる役者はいないだろう。役所広司はやはりすごいな、と再確認する。
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by daiouika1967 | 2008-11-22 22:09 | 日記  

11月19日(水) 晴

9時過ぎ、起床。昨日から一気に寒くなって、毛布を出した。今朝も、昨日と同じくらいに冷え込む。
なんだかとても平穏な、静かな気分で目覚めた。
生活や商売や人間関係や、そうした諸々からくる、ざわつく不安から絶縁して、切迫するものの何もない場所に出て、ぽつんとひとりでいる。そんな心地のする一日だった。
“そうした諸々”から逃避している、というのではない。例えば、おれは常日頃、知らない番号から電話がかかってくると、一瞬びくっと体が硬直して、「なんだろう?なにか悪い知らせだろうか」と漠然と不安な気分を覚えるのだが、今日は、知らない番号から電話があっても、べつにそうした心の波紋も広がらず、ただ「知らない番号からの電話だな」と、そのまま受けとめている。
物事を、そのまま受けてとめて、思い煩うということがない。
あらためて考えてみると、何かが起こるたび(あるいは何かが起こるのではないかと想像して)、不安や苛立ちを感じ、思い煩うということの方が、おかしなことのように思われてくる。
どうも、ここしばらく、おれはある種の関係妄想に陥っていたのかもしれない、とも思う。
いや、病的なものではないから、“妄想”というのは当たらないかもしれないが、しかし、今日は、そのような磁場から解放され、すべてをありのままに受けとめることができるような気がしている。

洲之内徹『帰りたい風景 ―気まぐれ美術館』(新潮文庫)を最後まで読む。
「羊について」と題された一章に、深く共感し、感じ入る。

洲之内徹は、「今年は私は死ぬかもしれない」と、今の自分にはそうした漠然とした死の観念があるのだという。
―《かといって、死の予感とか、そんなたいそうなものではない。また、早く死にたがっているというわけでも毛頭ない。とんでもない話で、私は、やっとこの頃になって、生きているということがとても面白いことだということが解ってきたところなのである。一日一日といろいろのことがよく見えてくるような気がして、とても楽しいのだ。見えてくるというのは見方を覚えるということでもある。そのために本を読む。(中略)そして、一冊読むごとに、世の中にはどちらを向いても偉い人間が一杯いるんだなあと感心してしまう。折角こうなったところで死んではつまらない。しかし、いま死んでも、こうならずに死んでしまうことにならずに済んだだけでもよかったなあ、と思う。》

午後、寒いなかを、大須まで歩いて、ノムラ書店で、庄野潤三『山の上に憩いあり』(新潮社出版)、芹沢俊介『芥川龍之介の宿命』(筑摩書房)を買う。二冊で500円だった。
名駅まで歩き、4時ごろ、マクドナルドでてりやきバーガーを食べながら、『芥川龍之介の宿命』をぱらぱら読み始める。あまり集中しての読書ではなく、冒頭の50ページしか読み進まなかった。

夜、パソコンに向かって、仕事をすこし、英語の勉強を2時間。1時には就寝する。
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by daiouika1967 | 2008-11-21 10:02 | 日記  

11月18日(火) 曇

9時過ぎ、起床。朝食は十六穀米、たくあん、うめぼし、やきのり。
名駅の喫茶店、図書館と歩き、大久保一彦『寿司屋のからくり』(ちくま新書)、江間正和『ランチは儲からない 飲み放題は儲かる ―飲食店の不思議な算数』(講談社)を読む。
夕方、<三省堂>へ。『現場のプロから学ぶXHTML+CSS』(毎日コミュニケーションズ)を買う。
5時前には家に帰る。ホットカーペットのうえで、1時間くらい、仮眠をとる。
夕飯は、キムチ鍋。
夕食後は、テレビで「さんま御殿」を眺めて、9時から風呂。浴後、10時から英語の勉強。3時間くらい。寒いからか、Pがやたらと膝の上に乗ってくる。撫でてやると、5分くらいゴロゴロ喉を鳴らして、温まったところでぴょんと膝から飛び降りるのである。
1時過ぎ、ベッドに入り、眠くなるまで、杉浦日向子『百物語』を読む。2時前、就寝。
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by daiouika1967 | 2008-11-19 23:23 | 日記  

11月17日(月) 晴

朝方ずっと、女の子との色恋沙汰の夢を見て、なんだかその楽しさが懐かしく、目が覚めても余韻が残って、なんだかすっきりした気分の朝になった。
スープとヨーグルトの朝食を食べ、10時には家を出て名駅に向かった。午前中、三浦展・柳内圭雄『女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?』(光文社新書)を読んだ。
昼、ビックカメラ前で、Tと待ち合わせ、Tとおれ共通の幼馴染Yがやっているパスタ屋へ行く。昼飯はミートソーススパゲッティ。
食べ終わって、午後、大須へ。最近、よく会っているI氏と仕事の打ち合わせをする。
I氏、例によって、「いい話があるんですよ~」と、新しい仕事のネタを持ち込んでくる。
話を聞く分には確かに旨味のある話なのだが、どこまで話通りなのか、山っ気の強いI氏との打ち合わせでは、慎重にさぐりさぐり見極めなくてはならない。
5時まで打ち合わせ、入院中のやくざのTさんのところへ、見舞いがてら、I氏との話の内容を伝えに行った。TとTさんと三人で、Iさんの山師ぶりをネタに、大笑いした。
家に帰ると7時過ぎ。妻が拵えた強烈なタンタン麺(ニンニクと唐辛子としょうががたっぷり入っている)を食べ、顔に汗が滲ませて、食後はDVDで中国のテレビドラマ? 『西太后』、続けて、蛙男商会『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE~総統は二度死ぬ~』を観る。
『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE~総統は二度死ぬ~』は、全編FLASHで制作されたアニメーション作品。少人数、低予算、短い製作時間で作っているらしく、絵にはほとんど動きがないのだが、しかし、そのわずかな動きが的を得ているのと、なによりもシナリオのテンポがよくて、すべてのキャラが立ち、躍動感さえ感じさせる。いや、知ってる人からすれば、「何をいまさら」って感じなんだろうけど、たまたまだがおもしろいもんを見つけた。
今日は、英語の勉強はできなかった。
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by daiouika1967 | 2008-11-19 01:23 | 日記  

11月16日(日) 曇ときどき雨

ホットカーペットの上に寝転がって、夕方まで、テレビを眺めたり、うつらうつらして過ごした。
ここしばらく、銀行の残金が乏しくなってきたことが原因で心細くなり、不安に襲われ、動悸がしたり、イライラしていたのだが、たっぷり眠ったら、なんだかすべてどうでもよくなってしまった。
なるようになるし、なるようにしかならないし、どうにもならない状況に陥っても、おれにはどうしてもゆずれないものなど何もないのだから、けっきょくどこか平然としたまま過ごしてしまうんだろう。
べつに、そう腹をくくったというわけではなく、十分に休息をとったら、自然とそんな心地になったのだった。
……疲れていただけのことか。
夜は、9時から一時間、英語の勉強をして、その後は、洲之内徹『帰りたい風景 ―気まぐれ美術館』(新潮文庫)を読んで過ごした。200ページまで読み進む。
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by daiouika1967 | 2008-11-18 00:14 | 日記