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1.17 日 晴

卓上に、『AB型自分の説明書週めくりカレンダー』が置いてある。
週ごとにめくると、AB型の特徴がひとつずつ説明してある。
今週のページには、
―「自動的にお世辞が出る。オートで笑顔が出る。というか、その時々の対応は全自動設定。あー、この場合なんて答えたらいいだろ?なんて考えない。ナチュラルに出す。出る。」

うまいこと言うね。
そう言われると、たしかにおれも、ほとんどの対人関係を、ほぼ自動設定で処理しているような気がしてきたよ。
ときどき、自分で自分の対応に感心したり、自分の話に感動したり、まぁでも総じてソツなくツツガなくって感じでね。

そういえば、だからかな。めったなことでは情が動かない。
本当に本当のところを突き詰めれば、いちいちのことにあれこれと感じてるんだろうけど、だいたいのことは突き詰めることもないから、そのまま事が過ぎ去れば、自分が何をどう感じたかなんて、認知する前に忘却してしまう。

悪くはないね。
なにより、ストレスなく仕事できるから、捗るしさ。
でも、つまらないといえばつまらない。
それに、ちょっと不安でもある。
もしかしたら、認知されずに忘却されてしまった諸々の「思い」に、いつかしっぺ返しを受けるんじゃないかって、なんだかそんな予感がするんだ。
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by daiouika1967 | 2010-01-18 18:39 | 日記  

1.16 土 晴

低気圧だと憂いがちになり、高気圧だと晴々した気持ちになる。
気持ちの浮き沈みは、気圧の変動に左右されるのだろうか。
本を読んでいたら、2月と8月は、気圧が安定しているから、精神科の来院数が減るのだそうだ。
なるほど。
やはり気圧の変動と気持ちの浮き沈みは、相関関係があるようだ。
あまり気持ちを浮き沈みさせていると、やはり精神が変調をきたす(人もいる)ということだろう。
2月といえば極寒、8月といえば極暑。
でも、寒い暑いは、気分にはあまり影響しないのかもしれない。
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by daiouika1967 | 2010-01-18 17:49 | 日記  

1.15 金 晴(極寒)

足の悪いらしい婆さんが、爺さんにすがって、よろよろと階段を降りている。爺さんも、頑健というわけではないらしく、手すりにすがって一段一段ゆっくりと足下を確かめるように歩いている。おれはそのふたりの後方を、ケータイの画面を見るふりをしつつ、ゆっくり一定の距離を保ってついていく。階段は幅が狭く、距離を詰めるとふたりを圧迫するのではないかと気を遣ったのである。しばらくふたりの後姿を眺めているうちに、フィッシュマンズの「頼りない天使」という歌詞のフレーズを思い出した。-なんて不思議なことだろう。この世界の真ん中でぼくが頼りだなんてね。……頼りになるはずもないぼくだけがきみの頼りになる、その不思議を感嘆したフレーズである。ふたりが階段を降りきったので、普段の歩速に戻し、ふたりを追い越して、ふたりの顔が見たい気もしたのだが、振り返るのも不自然だったので、そのまま歩き去った。歩き去ってから、ふと連想した。たまに、老夫婦が孤独死(夫婦だから孤独死という言葉は当たらないかもしれないが)して、しばらく発見されないままふたりの死体が放置されるという事件がある。心中というわけではなく、夫か妻の一方がまず突然死する。そして、残された片方もあまり日を置かずに自然死するのである。周りにつきあいのある人間もいないので、死体が腐って強烈な異臭を放ち始めたところでようやく発見されるということになる。老人のことだから、突然死するということはあるだろう。不思議なのは、残された片方が、なぜ連れ合いの死と同期するように“自然死”するのかということだ。棄てられた乳幼児が生きてはいけないように、自分ひとりではもはや最低限の生を営むこともできなくなっているのだろうか。
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by daiouika1967 | 2010-01-16 23:46 | 日記  

1.14 木 曇(極寒)

夜、テレビをぼおっと見ていた。
芸能人が雛壇に座ってガヤガヤするという番組で、そのなかで集まった芸能人にアンケートを取るというコーナーがあった。
アンケートのひとつに「あなたは記念日を大切にしますか?」という質問があって、十数人の芸能人がガヤガヤしながら「はい」「いいえ」のコーナーに移動する。
石田純一なんかはもちろん「はい」である。
「はい」:「いいえ」=7:3くらいの比率だろうか。
そのなかで出演者のひとり、優木まおみは「いいえ」に移動していた。
彼女はコメントを求められ「男が“今日はふたりが付き合った記念日だね”なんてことをいちいち覚えてて口にされると気持ち悪くないですか?」と答えていた。
その後街頭インタビューの結果がフリップで出され、「はい」:「いいえ」=8:2という割合だった。
世間一般の8割は人々は「記念日を大切にする」ということであるらしい。
優木まおみは世間の8割に抗ったのだった。
素敵である。
ますますファンになってしまった。
写真集も買うぞ。
ぼおっとテレビを見ながら優木まおみを応援しているおれ。
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by daiouika1967 | 2010-01-15 07:26 | 日記  

1.13 水 雪のち晴

小説を読んでいたら、いつのまにか夜も更けこみ、飼い猫と妻はホットカーペットの上でうつらうつら眠っている。おれは眠気を堪えて、その小説を最後まで読み切って、倒れるようにベッドにもぐりこんだ。

読んでいたのは沼田まほかる『彼女がその名を知らない鳥たち』。
昔の男への思慕と、今の男への憎悪―中年女の、よくあるような構図の日常が描かれる。しかし小説を読み進むにつれ、その構図は、女の神経症的な忘却に支えられた虚構だったということが、次第に明らかになる。
小説は女の一人称の視点で書かれているのだが、最初から女の言動には奇妙な歪みが感じられる。不穏な気配を描出する筆力に誘われて、この奇妙に歪んだ薄暗く粘りつくような虚構の「日常」に巻き込まれていく。

ふと、本から頭を上げる。
あるいは「日常」とは、いずれも虚構でしかないのではないか。無意識の忘却と否認によって構成された、“私の”「日常」。あるいは私以外の他者は、まったく異なった「日常」を生きているのかもしれない。……

不穏な気配を孕みつつも、それでもまだ女にとって(読者にとっても)自明だった「日常」が、小説の中盤以降、いよいよ崩れていく。
思慕する男が、女にとってじつは冷酷な鬼畜であり、憎悪する男が、女にとってじつは真の恋人だったと、明かされていく。「日常」は、幾度もネガとポジを反転し、ついには血みどろの情景が浮き上がってくる。
美しかった像が醜く歪み、醜かった像が美しく昇華する。美が醜に、醜が美に、愛が増に、増が愛に、幾度も反転する。

また、本から顔を上げる。
例えば、普段嫌悪していたものがむしろ好ましく感じられ、遠ざけておきたいはずの汚穢をむしろ積極的に欲するようになる、という「反転」。エロティックな興奮に陥ると、こうした「反転」が継起的に訪れ、人は「日常」から逸脱していく。むしろ、逸脱を欲し、その欲望に陶然と身をゆだねていく。
この小説には、そうしたエロティックな陶酔と、同じ性質の高揚感が感じられる。ほとんど、疑似セックスしているような感覚がある。……

ベッドにもぐりこんで、すぐに眠りに就き、おれはひどく濃厚な性夢を見たのだった(夢精はしなかった)。
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by daiouika1967 | 2010-01-13 18:42 | 日記  

1.12 火 曇

前方からフラフラと歩いてくる影を、あれ?知ってる子かな?とじっと見ていたら、すれ違いざま「なぁにぃ?なぁに見てんのぉ?」と、その酔っ払いに絡まれた。
「ああ、知り合いかと思ったけど違いました」と答えると、ぐふふふふふと笑いを漏らし、「またまたまたぁ。白々しいなぁもぉう」としつこく絡んでくる。
めんどうだな、と、無視してそのまま行き過ぎると、後方から「ああ~あ、つまんねぇ奴だな~」と追い討ちをかけられた。
おれはつまんなくなんかないぞ、とちょっとムッとして、一瞬立ち止まって振り返ってみる。酔っ払いの女の子は、もうおれに興味を失ったらしく、フラフラと歩き去っていく。おれは、振り返ってはみたものの、しかしその後おもしろいことを何も思いつけなかったので、そのまままた前方を向いて歩き始めたのだった。すいません、おれはやっぱり「つまんない奴」でした。

それだけの話である。
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by daiouika1967 | 2010-01-12 22:49 | 日記