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2010_05_24 月

今日は昼、ひどい土砂降りだった。昨日も終日雨で、二日続けて雨。湿気がすごくて、ほとんど水の中にいるようだった。これで暑ければ蒸し豚ができるところだが、昨日も今日も気温は低かった。
そのひどい土砂降りの中を、仕事で、常滑まで行かなければならなかった。駐車場まで歩くと、もう足もとがグショグショに濡れている。不快だ。走らせると、前方がほとんど見えない。そんな状態で名古屋高速にのった。周囲がほとんど見えない。恐ろしい。時速60kmくらいでトロトロ走った。途中、事故があったようで、何かの破片が転がっていた。バリバリ踏んで走り抜けると、路肩に車が二台駐車していた。

帰りには雨もやんでいた。ズボンも乾いて、高速も見晴らしがいい。でもあまり速度を上げずに、ゆっくりと走らせて帰った。
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by daiouika1967 | 2010-05-26 07:05 | 日記  

2010_05_22 土

今日の名古屋は晴れのち曇り。朝は晴れてたけど、午後から曇って、湿気のある風が吹き始めた。明日は雨になるようだ。夜になって、ますます湿気が高くなってきた。
結婚してから、連れ合いが、しきりに「名古屋の夏は不快で消耗する」と愚痴る。たしかに彼女が住んでいた早稲田のマンションは、夏でも乾いた風が吹き渡り、気持ちのいい部屋だった。
あの部屋に通っていた夏が懐かしい。



今日は一日音楽を聴きながら街をぶらついていた。何十年もずっとそんなふうだけど、ここ数ヶ月はおれにしては忙しく仕事をしている。
仕事をこなしながら、次の仕事の企画を考えていて、考えるのにはキリがないから、むりやり「時間を割って」、自分を仕事から切り離さないと身がもたない。
おれはヒステリー体質のようで、疲れが溜まると、すぐに症状となって身体に出る。だから、無理はきかないけれど、決定的に病むこともない。



ベランダのプランターへの水遣り。朝飯に、キャベツと胡瓜のサラダをボール一杯、おからを茶碗一杯。連れ合いは朝から病院に行った。このところ毎日通っている。妊娠しようとしているらしい。来週のどこかでおれも病院に行き、精子を提出しなければならないらしい。



食後、家を出て、名駅の喫茶店へ向かう。アイスコーヒーを頼んで、昨日三省堂で見つけた原武史編『明示学院大学国際学部付属研究所公開セミナー2 「知」の現場から』(河出書房新社)を読んだ。
明治学院大学で行なわれた一年分のトークライブの記録だが、とくにはっきりしたテーマがあるわけではないようで、参加者も、高橋源一郎、内田樹、島薗進、川上弘美、青山七恵、酒井順子、斎藤環、福岡伸一、姜尚中、坪内祐三と特に思想的、分野的な傾向もなく、ただおれの好奇心をそそるメンバーではある。

内田樹、川上弘美、青山七恵が、それぞれ「どのように“書き始める”に至ったのか」というテーマをめぐって話していた。

内田樹は、自分の好奇心のあり方をして、とてつもなく「広く浅い」のだと言う。あるとき、その「独特の広さと浅さ」は、自分の個性だと思うようになったのだそうだ。
≪これだけ薄いと、わずかな記憶の断片をなめるように玩味するようになるわけですよ。たとえば、小学校の何年生のときにこんなマンガを読んだとかいう記憶がみなさんにもあると思います。そのことについて、たいていの人は、「このマンガを読みました」って言っておしまいだと思うんです。けれど僕は、どういう状況で、どんな気分であのマンガを読んで、そのときに自分が何を考えていたのか、そのマンガを読むことを通じて自分はどんな社会的能力を育んだだろうかと考えだす。友だちのうす暗い物置で、『少年』を、友だちのお母さんに「あんた帰んなさい」って言われても読み続けたということを思い出して、なんで自分はあんなに必死になって『少年』を読んでいたのかしら、と考える。「子どもはマンガを好きだから」という単純な理由だけでは納得しない。「いやいや、もっと他にも理由があるんじゃないかな」って考えだす。そういうわずかな断片的記憶からいろんなものがずるずるずるずる出てくるわけ。コアになるような、きっかけになるような記憶の断片がそこらじゅうに転がっていて、生まれてからこれまでに溜まったそういう記憶の薄片をなめていると、蚕が糸をはくようにそこから想念がずるずると出てくる。≫

川上弘美は、小説が書きたくても書けなかった時期、「普通の生活をしていたのが(小説を書けるようになるために)大きかった」と話していた。普通の生活をすることで、わけのわからない澱のようなものが溜まる。その澱のようなものが溜まらないと、小説は書けなかっただろう。



昼飯は最近気に入っている名駅地下の定食屋で日替わり定食。コロッケと白身魚フライと肉団子、あさりの味噌汁。ごく普通の日替わり定食なのだが、味噌汁とご飯がしっかり美味しい。最近は、こういう普通の定食屋も少なくなり、普通ということが贅沢に感じられる。



午後は亀島のアジトに行く。幼馴染の悪友達何人かと家賃を出し合って借りている事務所だ。土曜はいつも誰もいない。雨風が窓からそよいでくる。本を読み継ぎ、すこし昼寝する。



夕方、ジュンク堂に行き、坂本龍一×中沢新一『縄文巡礼聖地』(木楽舎)が出ているのを見つける。アラン・リクト『サウンド・アート -音楽の向こう側、耳と目の間』(フィルムアート社)と2冊買った。
中古レコード屋の69にも寄った。ザ・シー・アンド・ケイク『カー・アラーム』、トータス・アンド・ボニー・プリンス・ビリー『ザ・ブレイブ・アンド・ザ・ボールド』とジョン・マッケンタイア関係2枚と、スリーピー・ジョン・エスティス+ハミー・ニクソン+憂歌団『ブルース・イズ・ア・ライヴ』を買う。



本陣のマクドナルドまで歩いて、夜飯はクォーターパウダーチーズ、ポテト、コカ・コーラゼロのセット。ガラガラの店内でモソモソ食べながら、『縄文聖地巡礼』を読んだ。

中沢新一≪いまのシステムを解明するだけじゃなくて、システムが生まれた瞬間をつかまえるという方法。これをもっと柔軟につくりかえて、いろんなところで実践していく必要があると思うんです。≫

坂本龍一≪人類はいまぼくたちに見えている現代文明へと必然的に至ったわけじゃなくて、ほかの可能性もあったわけで、その可能性をいま取り出してこないと、デッドエンドになるぞという危機感がありますね。≫

中沢新一≪循環的な世界を見直すというのは、前近代に戻って、電気もガスもないところで暮らすということじゃなくて、人間の心の基点を、旧石器時代につくられて、そのままずっとかたちも変えないで利用され続けている無意識の構造に据え直してみようということです。そうじゃないと、世界は完全に行きづまってしまう。≫

坂本龍一≪それには「死と再生」の「死」が必要。生産だけじゃダメで、破壊神シヴァが必要ですね。何を破壊するのかというと、われわれのもっている認識の壁。それを破壊するってことです。≫

中沢新一≪熊楠は、人間というものを、動物や植物と区別できるものではないと考えていたのだと思います。人間のなかには、たまたま思考や記憶や想像の領域が開かれているけれども、その本質は、もともと自然のなかに隠れていたものが、脳の部分にあらわれているにすぎないというふうに、彼は考えていたのでした。≫

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by daiouika1967 | 2010-05-23 13:35 | 日記