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11月26日

朝、雑事。10時前に家を出て、ミスドでポン・デ・リングとコーヒー。塚原史『記号と反抗 -二十世紀文化論のために』(人文書院)読了する。

名古屋駅が普段より混雑している。何もなくても街が混み合う日というのが、たまにある。それともおれの知らないイベントでもあったのだろうか。
午後はサウナに入る。4時過ぎまでまったり過ごす。

夕方、家に帰り、いましろたかしが脚本、絵コンテまで書いたという映画版『デメキング』を、DVDで見る。
地方の中高生なら誰でも感じるであろう、どうしようもない閉塞感、その退屈、あるいは猶予感、むしろ自由、無為に潰される時間の逆説的な豊饒さ。
中高生だけでなく、大人だって結局のところ、そんな時間のなかで、焦ったり、だらけたりして、日を過ごしている。
いましろたかしは、そんな「感じ」を描かせたら、天才的な漫画家だと思う。
映画でも、その「感じ」は、しっかり表現されていた。

続けて、細野晴臣とワールドシャイネスのライブ映像を見る。3、4回目くらいか。「チャタヌガチューチュー」でひとり踊る。
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by daiouika1967 | 2011-11-27 16:04 | 日記  

11月25日

朝、いつもの喫茶店でコーヒー、1時間半の読書。塚原史『記号と反抗 -二十世紀文化論のために』(人文書院)を読む。塚原史の、シュルレアリスムを中心とした、20世紀初頭のアヴァンギャルドをテーマにした文章は、これまでにもいくつか読んでいる。テーマに沿って、人物や現象を横断する、その足取りが好きな書き手のひとりだ。この本は1998年の発行で、1990年代に書かれた文章が纏められている。
目次を引く。
Ⅰ世紀末文化地形図
1.アヴァンギャルドの原風景
 ダダの身体―ツァラとバタイユ
 シュルレアリスムと世紀末
 エクリチュールの彼方へ―シュルレアリスムと「自動既述」
2.三十年代の地理学
 三十年代文学のABC―幻想の共同体の誘惑
 性と聖のはざまで―バタイユとカイヨワ
3.地殻変動のあと
 ボードリヤールとの旅―消費社会と廃墟の風景
 『テル・ケル』と詩的言語の革命の行方
 ボルタンスキーの暗い部屋
 コルセッティの「抽象の部屋」
 荒川修作が来た日―「天命反転」の逆説
Ⅱ世紀の紋章としての写真
 反記号としての写真
 写真の二十世紀/二十世紀の写真


「シュルレアリスムと世紀末」から、一節、引用する。
≪『宣言』の冒頭の一句が断定していたように、彼にとって「現実生活」とは「生の、もっとも仮称的な部分」にほかならなかった。ところが、日常的な時間の経過において、人びとはこの目の前の生を生きること以外の可能性を思いつくことがないから、彼らにとって、それはむしろ生の、もっとも確実な部分なのである。
しかし、何かのきっかけ(この、何かが問題だ)で、現実生活への信頼が失われるとき、そこに生じる奥深い亀裂や激しい断層からは、あの「複数の生の見通し」が突然そうに顔をのぞかせることになる。それはまるで、少年レヴィ=ストロースを感動させた「二つの地層の接線」の彼方に立ちあらわれる太鼓の二つの海洋のように、人間という不可解な地層の深部にひそむ未知の領域を出現させるだろう。
「文学」あるいは「詩」などと呼ばれてきた、言語表現という小さな世界にも、同じ事件が起こることをシュルレアリストたちはもくろんでいたから、彼らはまずこの世界への信頼を失わさせることこそが「複数の生」を蘇生させ、言葉の新しい可能性を引き出すための有効な手段であると信じたのだった。「反文学」というスタイルは、あきらかにこの確信から生じている。≫

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by daiouika1967 | 2011-11-26 08:17 | 日記  

11月24日

朝、いつもの喫茶店でコーヒー、1時間半の読書。鶴ケ谷真一『紙背に微光あり ―読書の喜び』(平凡社)を読む。鶴ケ谷真一は引用のパッチワークのセンスがいい。引用元の趣味もおれの好みだ。読んでいて、次々に読みたい本が、心のメモに溜まる。

午前中から午後にかけて、2時間デスクワークに没頭。昼過ぎ、会社を出る。午後、喫茶店で鶴ケ谷真一を読み継ぎ、読了。夕方から夜10時まで、再びデスクワークに没頭する。
家に帰り、眠くなるまで吉田健一『瓦礫の中』(中央公論社)を読もうと書を開く。結局最後まで読みきってしまった。戦後、防空壕で暮らしていた夫婦が、しだいに復興していく周囲、自分たちをどう感じとるのか、時間の流れのなかでの意識が描かれている。
人はどんな状況にも慣れ、日常を自明のものとする。時代が動くとは、その日常に断裂が入るということだ。時代は均一に流れるわけではない。周囲を見回せば、自明だった景色に、ところどころ軋むような違和を感じるようになる。
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by daiouika1967 | 2011-11-26 07:35 | 日記  

11月23日

雨の休日。体が重い。昔録画してそれっきりになっていた「沈まぬ太陽」を見て、そのまま炬燵の布団にくるまりうとうとする。目が覚めると全身がふやけたように力が抜けていた。目が痒い。ぼーっとして終わる。
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by daiouika1967 | 2011-11-26 07:16 | 日記  

11月22日

晴天。
朝、原田和典『世界最高のジャズ』(光文社新書)読了。

溜まっている仕事を消化する。おおむね、予定通りに片がついた。

夜、テレビを点けっぱなしにして、森村誠一『自薦恐怖小説集 人間溶解』(角川ホラー文庫)を読む。ブックオフで100円だったので買ってきた本。疲れた夜にはちょうどいい「火曜サスペンス劇場」感覚。
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by daiouika1967 | 2011-11-23 08:18 | 日記  

11月21日

曇天。ときどき雨。冬のように寒い。

原田和典『世界最高のジャズ』(光文社新書)読み始める。
ジャズのビッグネームの聴き所を解説した啓蒙ガイド。著者は1970年生まれなので、ほぼ同世代。父親がジャズ好き、という音楽環境も似ている。
取り上げられているのは、ルイ・アームストロング、デュークエリントン(「ジャズはいきなり革命だった」)。チャーリー・パーカー、バド・パウエル、クリフォード・ブラウン、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン(ジャズの心臓―アドリブに人生を賭けた“即興の鬼”たち)。マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガス、アート・ブレイキー(強烈な支配力と構成力―オルガナイザーたちとそのグループ)。オーネット・コールマン、エリック・ドルフィー、セシル・テイラー、アルバート・アイラー(美は乱調にあり―“一聴猛毒”の冒険者たち)。ディジー・ガレスピー、ウェス・モンゴメリー、ローランド・カーク(熱いブイヤベースのごとく―世界音楽としてのジャズ)。ジャッキー・マクリーン、リー・モーガン、ウェイン・ショーター(音一発の説得力―ジャズの蟻地獄に引きずり込む愛すべきプレイヤーたち)。

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by daiouika1967 | 2011-11-23 08:11 | 日記  

11月20日

晴天の日曜日。陽射しは暖かく、窓辺にいるとうつらうつらするが、外に出ると強風が吹きすさんでいる。

中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT出版)を読み継ぎ、読了。ビバップの黒さとヒップホップの黒さは、同じ精神的土壌から生まれた。
≪興味深いのは、マイルスにせよローチにせよ、さらにクインシー・ジョーンズを含む他のビバップ世代のミュージシャンのほとんどが、客観的にみれば正当な継承者であるはずのウィントン・マルサリスではなくラッパーを「仲間」もしくは「継承者」とみなしたことだろう。想像するに、すでにウィントンの世代に代表されるジャズが「あのジャズ」ではなくなっていたこと、そしてヒップホップにこそ「あのジャズ」が生きていることを実感したからではなかったろうか。さらにスティーブ・コールマンを筆頭とするMベース派は、ウィントン一派よりも革新的ではあったかもしれないが、その「革新」はジャズ内部においてのみ有効性を発揮し、ヒップホップやラッパーが待ち構えるストリートへもち出した瞬間、相対的に「ふつうのジャズ」への変質を余儀なくされたのではないだろうか。
マイルス・デイヴィスやマックス・ローチあるいはクインシー・ジョーンズ等、真の革新者、真に創造的であろうとしたミュージシャンは、ウィントン・マルサリスでもスディーヴ・コールマンでもなく、ヒップホップに共鳴し、本能的にブラック・ミュージックの未来が広がっていることを見抜いた。≫


ん?
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窓辺へ駆け寄る二匹
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野良雌
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にゃあにゃあにゃあにゃあっ
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行ってしまった
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by daiouika1967 | 2011-11-23 07:57 | 日記  

11月19日

ガスの点検がある、ということで、朝は家で過ごす。10時前にガス屋が来て、ガス器具の点検をしていく。猫3匹は寝室に隠し、妻が見張っていた。

ミスドで読書。宮本常一『日本文化の形成』中(ちくま学芸文庫)を読み継ぐ。疲れが溜まっているようなので、今日は午後からサウナに行くことに決めていた。
名駅の定食屋で昼飯をすまし、サウナへ向かう。汗を流し、仮眠室のリクライニングに横たわる。リトルフィートの『リトルフィート』から『ラストレコーディングアルバム』までを聴きながら、うつらうつらする。

5時に目覚め、さて、予定では夜までかかって、仕事をひとつ消化するつもりだった。しかし、疲労感は軽減していたけれど、仕事にかかる気は失せ、そうだな、今日は「調整日」にするか、と最近誰かのエッセイで覚えた言葉をつぶやいて、そのまま帰路につくことにする。朝からずっと降りしきっていた雨も、6時過ぎ、帰る頃にはやんでいた。
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by daiouika1967 | 2011-11-20 12:10 | 日記  

11月18日

今朝もまた6時半に目覚める。妻は炬燵。まだ電気は入れていないが、炬燵布団でくるまって眠ると温かいらしい。妻を起さないように、ベッドの上で読書。カーテンを開けても、外は曇天で暗かったので、電気を点けて読む。昨日の続きで、宮本常一『日本文化の形成』上(ちくま学芸文庫)を読み継ぐ。
7時56分のバスで駅西の喫茶店へ。宮本常一を読み継ぐ。読了し、中巻を読み始める。50ページ程読み進む。すこし寝不足気味で、ときどき眠たくなる。

夕方。疲れが溜まって、仕事をするタメが効かなかったので、会社を抜け出し、カフェ・ド・クリエで読書。宮本常一は中断して、中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT出版)を読み始める。とこどろこどろで眠気の波がくる。ダブステップのコンピレーションを聴きながら、疲れた体に、ビートがしみるように心地いい。

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by daiouika1967 | 2011-11-19 00:11 | 日記  

11月17日

6時過ぎに目覚めると、昨日忘れないようにしようと思った気がかりが頭を占めていて、なんだかつまらない朝だ。

sakuraがさかって鳴きながら身をよじる。作業中の机にとびのってくねくねと腹を見せる。撫でてやると喉を鳴らしてさらに激しくくねくねする。可愛くもあり鬱陶しくもある。

いつものように7時56分のバスに乗り、駅西の喫茶店に寄る。朝、一時間半の読書。今週は月曜からずっと同じペースを確保できている。ルーティンが心地いい。
今朝は、宮本常一『日本文化の形成』上巻(ちくま学芸文庫)。YMOの2009年ロンドンでのライブ録音を聴きながら、半分、読み進む。

社会史や民俗学。宮本常一や網野善彦が描き出す社会の基層。その背景から起き立つ文学。文学の起源。例えば西郷信綱による古典の読解。「起源」はつねに「現在」に通じている。吉本隆明が問題化する「現在」。

打合せ、打合せで一日が暮れる。
昼飯のハンバーグ弁当がうまい。
夜飯の吉野家の牛丼もうまい。
牛丼のようなものをおいしく感じるときは、飢えているときだ。
たまたま空腹というのではなく、飢餓感が全身にいきわたっているようなとき、牛丼のようなものがしみるようにうまい。

伝えたいことをじゅうぶんに伝えるには、白か黒かではなく、灰色の濃度の違いを的確に描き出すだけの、精度の高い表現力が必要になる。転調すべきところで転調し、現実の複雑をそのまま捉えて提示するように話さなければならない。
曖昧なのではない。むしろ厳密なのだ。要約不能な厳密さ。

夜。phewのカバー曲集を聴きながら、帰路を歩く。にじんだような音像が、疲れた神経を慰撫する。ほんとうに、いい音だ。いい歌だ。

ふと、気づいた。あなたとの関係が、無数にあった可能性のひとつでしかなかったただの偶発事から、ひとつの必然へ、「私」というものを構成する決定事項へと、いつしかその性質を変えていることに。だからもはやおれには、「もしあなたと出会っていなかったら」と想像することもできない。そうか、人は、このように、「偶然」を「運命」に昇華-消化するのだ。
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by daiouika1967 | 2011-11-17 23:30 | 日記