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5月29日(日) 雨

終日雨。台風の影響で断続的に雨風が強く吹きつける。夜には小雨になって空中に雨の粒が渦巻くように舞っていた。
軽い頭痛。ダラダラする。午後、妻が着付け教室に行くというので、名駅まで車で送っていく。夕方帰るときも、車で迎えに行った。冷蔵庫が空だったので、スーパーによって食材を買い込む。
家にいる時間は、テレビの前で寝転んで過ごした。録画しておいたNHKの『ETV -カズオ・イシグロをさがして』を見る。夜はリアルタイムで『ETV -細野晴臣の軌跡』を見る。
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by daiouika1967 | 2011-05-30 19:21 | 日記  

5月21日(土) 晴

朝。ミスドで昨日買った細野晴臣の新アルバム『ホソノバ』を聴きながら、いましろたかし『いましろたかし傑作短篇集』(エンターブレイン)を読む。細野晴臣の、体の芯を揉み解してくれるようなヴァイブレーションと、いましろたかしの、何も起こらない=すべてが起こる日常の実相を切り取った描写に、ダウナー系の悦楽を覚える。窓から朝の光が差し込んでくるなか、湯気の立つコーヒーを啜りながら、いつまでもこの時間がつづけばよいのに、と切に思う。
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by daiouika1967 | 2011-05-23 22:51 | 日記  

5月20日(金) 晴

昼。仕事で栄に行った帰り、メルサに<ブックオフ>が出店しているのを知った。へぇ、と入ってみる。大きい。大きいがしょせんはブックオフなのでたいした出物はない。いましろたかし『いましろたかし傑作短篇集』(エンターブレイン)、楳図かずお『恐怖へ招待』(河出文庫)を見つけて買う。800円。

夕方。仕事で上前津に行ったついでに<サウンドベイ>に寄る。相対性理論の新アルバムが出ているのを見つける。『正しい相対性理論』。新楽曲3曲+リミックスで構成されているようだ。リミックス陣が凄い。大友良英、Cornelius、坂本龍一、鈴木慶一、スチャダラパー、SPANK HAPPY、Buffalo Daughter、Arto Lindsay、Fennesz、MatthewHerbertの10人。即買い。
細野晴臣の新アルバム『ホソノバ』も見つける。カバープラスオリジナル楽曲もいくつか含まれているようだ。これも即買い。いそいそした気分で、会社に帰る。
会社に帰り、さっそくCDをパソコンに落とし、アイリバーに移す。帰路は『正しい相対性理論』を聴きながら帰った。ポップでアバンギャルド。いや~、まじいいわ。ヘビーローテーションの予感。
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by daiouika1967 | 2011-05-21 08:25 | 日記  

10月25日(土) 曇

午前中、カフカ『失踪者』(池内紀訳 白水社)の残り半分を、ようやく読む。
カフカの魅力のひとつに、ほとんど背景の一部分として書かれているような、その場限りの登場人物にも、奇妙なくらいのリアリティが備わっている、ということがあるように思う。精密な描写がされているわけではなく、ある意味類型的な像が描かれているだけのようにも思えるのに、不思議である。
それから、世界が、どうしようもない力に支配された場所であり、個々人の意志がそのまま通ることは決してないのだ、という感触(こういうのを「不条理感覚」と呼べばいいのだろうか)。……

午後、<ジュンク堂>で、細野晴臣・鎌田東二『神楽感覚 ―環太平洋モンゴリドユニットの音楽世界』(作品社)、カフカ『審判』『城』(池内紀訳 白水社)を買う。
図書館、伏見の喫茶店と歩いて、『神楽感覚』を読んだ。対談の冒頭で、細野晴臣の原風景ならぬ“原音景”とでも言うべき、音楽体験のことが書かれている。二箇所、抜粋する。
《終戦直後っていう感じですから、東京も焼け跡があったんでしょうね。家が少なかったわけです。ぼくが子どもの頃は車が三十分に一度通るか通らないかって静けさの中で暮らしてました。ですから、夜寝ていると目黒駅から電車の音が聴こえてくるんです。当時ぼくの祖母なんかは省線っていってたんですけど。その音がなかなか良かった。それがぼくの音楽体験の原型なんです。》
《ぼくの祖父というのはピアノの調律をやっていたんです。組織の属さず独立してやっていたので、家にごろごろピアノの古いのが運ばれてきては一日じゅう調律をやっていて、それがまたいい音で。(中略)しかも隣が材木工場だったんです。ドリルの音のキーンという音が一日じゅう鳴っている中に、ピアノの音が聴こえてくるという。僕の音楽の原型っていうのはそういうものです。》

遠い木霊のような電車の音。機械的なノイズのなかに浮かんでは消える断片的な旋律。
鎌田東二が、この話を受けて、「カオスとコスモスが同居しているような世界」と言い、細野晴臣の音楽世界そのものですね、と感想を言っている。
おれの幼時の体験にも、同じような体験がある。
幼い頃、寝ていると、ときどき、遠い電車の警笛のような音が聴こえることがあった。じっさいに聴こえていたのか、幻聴なのかも、もうよく分からない。布団の中でその音が聴こえると、ひどく寂しいような気持ちになったことは、はっきり覚えている。しかし、ただ寂しいだけではなく、その気持ちの中には、なにか甘い懐かしさのようなものもかすかに混じっていた。
それから、おれの実家の隣りが印刷工場で、その工場に窓一枚で面していた部屋に行くと、印刷機の回るカシュッカシュッという音が、常に聴こえてきて、その音を聞きながら、よくうつらうつら昼寝していた。曇り窓から午後の気だるい陽光がさしこんでくる、その明るさをよく覚えている。
おれは、YMOの『テクノデリック』というアルバムが大好きで、何百回か、もしかすると千回くらいはくりかえし聴いているかもしれない。このアルバムの最後に収録されている「プロローグ~エピローグ」という曲があるのだが、この曲にサンプリングされている機械音が、おれの“原音景”の音に似ているのだ。それで、聴くたびに、どうしようもない郷愁が喚起されるのである。

『神楽感覚』には、付録でDVDが付いていた。環太平洋モンゴロイドユニットの演奏を収めたDVDである。夜、12時頃から、ソファーに座って、観ていたら、すごく気持ちが良くなって、そのままソファーで眠ってしまった。
2時頃、はっと目が覚め、ベッドに入った。
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by daiouika1967 | 2008-10-27 00:35 | 日記  

8月11日(月) 晴

今月号の『スタジオ・ボイス』は細野晴臣特集。<三省堂>の雑誌コーナーで見つけ、さっそく買って読む。細野晴臣のインタビュー、横尾忠則との対談、また、高橋幸宏や坂本龍一に細野晴臣について聞いたインタビューも載っていて、なかなか充実している。
記事では、音楽ライターの安田謙一が、細野晴臣の持つ独特の「軽やかさ」について、そのネーミングセンスを取り上げて考察している文章が印象に残った。
細野晴臣の創る音楽、発する言葉には、一貫して、えもいわれないような「軽み」の味わいがある。
細野晴臣は典型的なリスニング・ミュージシャンで、膨大な音楽を聴き、また彼は世界情勢や日本で起こる事件など気になるネットニュースを、長期間にわたりクリップして整理しているらしい。日々膨大な情報を摂取しながら、細野晴臣は、その情報に溺れることなく、独自のやり方で情報の消化・編集をしているように見える。細野晴臣独特の「軽み」は、情報を消化・編集するさいの、その「独自のやり方」の醸し出す味わいであるように感じられる。

佐々木幹郎『やわらかく、壊れる ―都市の滅び方について』(みすず書房)の残り半分を読み了える。
佐々木幹郎の眼差しは、つねに、災害や戦争でどこかしら機能不全に陥った都市、廃墟と化した都市に向けられており、そこに都市の本質を見通しているようだ。
うろ覚えなのが、たしか種村季弘が、戦後日本の闇市について、その焼け野原に立ち並んだバラックの集合体こそが「都市が最も都市らしくあった瞬間なのだ」と言ったことがあった。栗本慎一郎はその都市論のなかで、種村のこの言を受けて、「“都市”とは人々の眼差しの交錯のなかに浮かび上がる“現象”であり、それは機能としての都市が壊れた場所においてもっとも分かりやすく現れる」という意味のことを書いていた(すべてうろ覚えである)。
佐々木幹郎の都市論ともいえる本書を読みながら、以前読んだ種村季弘や栗本慎一郎の言葉の残響が、頭のなかに浮かび上がってきたのだった。

もう一度<三省堂>に寄り、文庫本の新刊書の棚から、なんとなく川上健一『ビトウィン BETWEEN ―ノーマネーand能天気』(集英社文庫)を手に取る。著者は知らないし、普段ならあまり読まないタイプの本なのだが、なんとなく。読みたい本、ぜひ読まなければ本がたくさん溜まっているのに(新刊書だけでも、町田康、舞城王太郎、笠井潔の長編が出たところだし、吉本隆明の『心的現象論本論』もまだ買ってないし)、なぜか。
それで、買って、すぐに喫茶店で読み始め、一時間半くらいで読み了えてしまった。
著者の川上健一は、小説家だが、10年ほどブランクがあった。その間、田舎に引越し、妻を娶り、娘もできて、家族三人でほとんど金のない極貧生活を送る。この本は、その極貧生活の間のことを書いたエッセイである。
極貧生活のこと、といっても、いわゆる「貧乏話」―金がないがゆえに浮かび上がる生活のディティールについての描写はあまりない(おれが「貧乏話」が好きなのは、その描写が読めるからなのに)。
著者は、釣りに行ったり、日曜大工をしたり、ほとんど悠々自適といってもいいような生活を送っている。
消費-生産といった資本のサイクルから脱落した人間が、それでもある意味豊かに生き延びることのできる社会こそが本当に良い社会といえるのかもしれないなぁ、などと考えつつ、しかし、おれが読みたかったのはいわゆる「貧乏話」だったので、ちょっと肩透かしを食ったような気分になる。
それに、この人の文体がどうも、おれにはしっくりこない。文章から、一定のパターンが透けて見えるのだ。
あまり考え抜くことなく文章を書くと、その文章は、どうしても定型の物語にパターン化してしまう。そうした文章から読み取れるのは、その文章を読む前から分かっている一定の物語のパターンだけである。
逆に考え抜かれて書かれた文章を読むと、こちらの思考も触発されて、精神が活性化するのが分かる。そうした文章には、パターン化された物語ではなく、現実を構成するモノやヒトがはっきりと描出されている。


<新星堂>で9日発売の新生デイジーワールド第三弾、コシミハル『覗き窓』を買う。
ついで<69>で、YMO『COMPLETE SERVICE』、ジム・オルーク『insignificance』、ザ・ポップ・グループ『最後の警告』を買う。YMOとジム・オルークは以前持っていたのを買いなおす。
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by daiouika1967 | 2008-08-12 07:44 | 日記  

6月5日(木) 曇のち雨

朝食は卵かけご飯、スティックサラダ。最近、できるだけ朝野菜を取るようにしている。そうすると、1日の調子がいいような気がするのだ。
10時前に家を出て、<アルアビス>でコーヒー。午前中この店に行くと、いつも決まって、50代くらいのおばさんと年齢不詳の白人男性のカップルと、何の仕事をしているのかわからない風貌の男性が一人、必ずいる。やっぱり今日もいるな、と思いつつ、コーヒーを飲みながら、昨日買った井上陽水の『ライオンとペリカン』『バレリーナ』を聴いた。『ライオンとペリカン』に収録されている「チャイニーズ・フード」、夢を見ているときの、独特の飛躍、類推の不思議な感触がそのまま表現されていて、聴いていると覚めながら夢を見ているような、奇妙な心地になる。
Zの紹介で営業の訪問を一件。先月から営業を始めたデリヘルの事務所に行く。数件店舗のあるチェーン店で、店長はそのチェーン店で働いていた、元デリヘル嬢の27歳の胸のやたら大きな女の子だった。ウェブでの集客について、1時間ほど話をした。仕事になるだろうか。感触は悪くなかったが、即決にはもっていけなかった。
午後、伏見から栄の喫茶店を梯子して、平山夢明・稲川淳二『怖い話はなぜモテる』(情報センター出版局)の続きを読む。続けて、細野晴臣『分福茶釜』聞き手(:鈴木惣一郎 平凡社)を読む。さらに続けて、ディック・パウンテン+デイヴィッド・ロビンズ『クール・ルールズ』(鈴木晶訳 研究社)を100ページまで読む。
夜飯は、妻の拵えたすいとん入りのけんちん汁。大量の酒と柚子胡椒が入っていて、食べていると汗びっしょりになった。食後、久し振りに湯船に湯を溜めて、風呂に入り、汗を流した。
テレビを眺めながら、合間にすこしパソコンで仕事のレポート作成をし、ネットを周回したり、そうこうしているうちに、なんとなく時間が過ぎていった。


●平山夢明のおしゃべりは面白い!、
と、前に精神科医の春日武彦と対談してる本(『「狂い」の構造』扶桑社新書)読んだとき思ったんだけど、
何が面白いかっていうと、
とにかく「こんな人がいて」「こんなことがあって」という具体的な事例がすごく豊富なんだよね。
彼の頭のなかには、見聞きしたこと、経験したことが、「おはなし」の形に整理されて、しっかりインデックスされてるんだろうな。
『狂いの構造』では、主に、春日武彦が平山夢明の話を聞きだす、という形だったのが、今回の本では逆に、平山夢明が稲川淳二の話を聞きだす、という形の本になっててね。
しゃべり上手は聞き上手、というけれど、
あと、平山夢明はほんとうに現代怪談のパイオニアとしての稲川淳二をリスペクトしてるんだろうな、
稲川淳二も、心を許して、話が適当な生煮えの感じのまま、興がのるのにまかせて言葉を出してて、
でもそのときほんとうに話したいことを話してるから、その話には自ずと深まりが出てくる。

稲川淳二の話のなかで、怪談とは関係ないんだけど、人間の「したたかさ」について語られているくだりがあって、
そこで言われていることが、ちょっと興味深かった。
《したたかってなんだろうって思ったんですけど、ふつうは「あいつはしたたかな女だ」ってあまりいいイメージで使われないじゃないですか。でも、本当は、「したたか」っていうのは強いとかたくましいとか丈夫っていう意味じゃなくて、黙々と生きている人のことを言うんじゃないかと思うんですよ。
人に押されて転んでも、文句も言わずただ黙って起き上がって歩いていく。風が吹いても進んで行く。人が相手をしなくても進んでいく。したたかってそういうことじゃないかと思うんです。
叩かれても、災害に遭っても、どんなことがあっても黙々とずっと動いていく人。何があっても何を言われてもずっと生きている。それは、決してたくましいわけではない。強いわけでもない。
でも、ひょっとすると強いやつより強いかもしれないし、たくましいやつよりもたくましいかもしれない。なぜkっていうと、ただ生きてるだけだから。
「そんなこと」って言うかもしれないけど、ただ生きて行くって結構たいへんよ。お前、何の楽しみがあるの、どうして生きてるの、死んだ方が楽なんじゃないの、ってそんな中でも生きてる人間って、したたかだなあと思うんですよ。》

自分の周りの環境がどんなものであろうと、たとえひどい状況のなかにあったとしても、
どうにかその現実と折り合いをつけつつ、「黙々と」ただ生きてるような人たちのことを、
稲川淳二は、「したたかだ」と評してるわけだね。
このくだりを読んでて、ちょっと前に読んだ水木しげるの奥さんの自伝(武良布枝『ゲゲゲの女房』実業之日本社)で、水木しげるが自分の奥さんを評して、
《家内は、「生まれてきたから生きている」というような人間です。それはすごいことだと水木サンは思う。》と書かれてあったのを思い出した。
ただ、生きている。なぜなら、生まれてきたから。死ぬまでは、生きてる。
って、これは強いよな。
「生き甲斐」とか「クオリティ・オブ・ライフ」とか「幸福」とか「救済」とか、「なに、それ?」なんて思うことができたら、そりゃ最強だと思うよ。

●『分福茶釜』は、鈴木惣一郎が、細野晴臣に、
「世間のこと、世界のこと、老いること、祈ること、よりよく生きること」、
つまり、四方山話を一年にわたって聞きとった、その記録を編集してまとめた本だ。
鈴木惣一郎が<あとがき>で、
《(細野晴臣と)長時間話したあと、ぼくの身体はほっかほっかになる。つまり、会う前は元気がなくても、帰るときは元気になっているのだ》と書いているんだけど、
おれは、もちろん細野晴臣と長時間話したことなどないけれど、
細野晴臣のインタビューや書くものを読んでいるだけでも、たしかに「身体がほっかほっか」になって、元気になるのがわかる。だから、鈴木惣一郎の感想には、なるほどそうだろうな、と共感するのである。

たくさん、興味深い話はあったんだけど、
そのうちのいくつかを引いてみる。

昔のレコード(細野晴臣は、1940年代の頃の録音を例にとっている)の“音の良さ”について。
細野晴臣は、1940年代のレコードが素晴らしいのは、そこに「空気」が録られているからだ、と語る。
《その場の空気と音をまるごとひとつのマイクで録るっていう、その豊かさを取り戻すことなんだ。豊かさが今は失われているね。全部空気を削ぎ落として「音」だけにしちゃって、音を鳴らしているのは空気だっていうことを忘れてしまった。
1940年代頃の音楽の良さは、レンジの狭さとかセピア色とかそういうことじゃなくて、空気をまるごと一本のマイクで録音したっていうことなんだよ。空気を切り取るということは、宇宙の断片を切り取ることだから。そこには、すべての情報がまるごと含まれているんだよ。宇宙全体の情報が。マルチレコーディングになって以来、空気を全部削ぎ落として「音」だけの情報にして、空気がなくなった分をエコーで処理して空間をつくっていくことの空虚さ。それを今、痛感してる。》
《本来は人と人の間には空気があって、自然があって、いろんな要素がそこにあって、人間はそれを全部一緒に呼吸して生きているものなんだ。かつては信仰という第三の視点を通して、常にそういうものに囲まれているという意識があったから、周りの世界に対して畏敬の念というものを持って生きていたけれども、今はないでしょ。音楽もそうだよ。空気を排除しちゃったら丸裸だよ。だからあらゆる局面で自分が攻撃される立場になっちゃう。それで自分を守るために鎧をつけているうちに鎧がとれなくなっちゃうっていう、これはもう都市の限界だよね。》

それから、現代人のあり方のしんどさについて。
現代人は、生きるために、まず「自分の意志をもたなければならない」、という構造のなかにいる、と細野晴臣は語る。
《今の人間のあり方ってきついと思うの。点でしか存在できないから、もろになんでも自分でかぶっちゃうんだよね。メディアからも個人がターゲットにされる。具体的な例をいうと、昔の広告宣伝っていうのは、家族に対して、ホームに対してなされていた。家庭という単位。それが崩壊したせいで個人に向けられてくる。それはとてもキツイことだなと思う。
うまく言えないけど、自分の意志でしか生きていけなっていうかな。アフリカなんかに凄まじい地域があるじゃない、虐殺とか飢餓とか。そういう場所で子どもたちが放り出されてひとりで生きていくんだけど、その子どもたちは自分で自分を面倒みて生きていくしかないわけでしょ。あらゆることが自分次第で、そこにしか先がないんだという状況。それと同じようなことが、ものすごくわかりにくいかたちで日本にもある。つまり、ほったらかしにされているんだよ。だから責任をそれぞれ自分で負わなきゃいけない。ところがそのことがよく見えないから、どうしていいかわからない。
もっと状況が差し迫って日本人が難民化したら、もっとはっきりすると思うけどね。そうじゃないから今はまだなんとなく過ごしていけるけれど、でも根っこにある問題ってのはそういうこと。単純なんだよ。アフリカのような場所と変わらない状況が日本にはあって、そこで生きていこうとするならば、自分を助けるのは自分しかいないっていうことを知っておかないといけない。》

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by daiouika1967 | 2008-06-06 12:11 | 日記