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2月11日 曇ときどき雨

昨日夜更かししたので、今日はなかなか起きられなかった。とろとろと朝寝して、10時過ぎ起床する。朝のウォーミングアップ(英語)はサボる。
朝食に卵かけご飯、納豆、焼き海苔、キャベツ。家を出て、喫茶店で、小林敏彦『ニュース英語パワーボキャビル4000語』(語研)。1冊通しで2時間。
昨日、図書館で借りてきた、川北稔編『知の教科書 ウォーラーステイン』(講談社新書メチエ)を読む。1時間強で234ページ読了。
名駅の星野書店で、佐藤優・魚住昭『テロルとクーデターの予感』(朝日新聞出版)、佐藤優『テロリズムの罠 右巻 ―忍び寄るファシズムの魅力』『テロリズムの罠 左巻 -新自由主義社会の行方』(角川ONEテーマ21)、保坂正康・半藤一利『「昭和」を点検する』(講談社現代新書)、前田英樹『独学の精神』(ちくま新書)を買う。4700円。
喫茶店で、佐藤優・魚住昭『テロルとクーデターの予感』(朝日新聞出版)を読む。230ページ読了。次いで、前田英樹『独学の精神』(ちくま新書)を読み始め、50ページまで読み進む。
夕飯は、鯵のひらき、焼いたししとう、蕪と塩昆布の浅漬け、蕪の葉っぱの味噌汁、玄米。
夜、DVDで『人のセックスを笑うな』を観る。井口奈己監督。松山ケンイチ、永作博美、蒼井優、忍成修吾。久しぶりに「映画」らしい映画を観た。
ひとつひとつのカットが、物語を説明するための一齣ではなく、多様な意味をはらんだ「ショット」として撮られていて、その「ショット」が特有のリズムで繋がっていることで、「映画」にしか現れない「時間」「空間」が広がっている。
妻はこの映画のあいだ、ときどきキッチンに行って、ニンニクを刻み、炒めて、オイルに浸し、ニンニクオイルを拵えていた。映画が終わり、そのニンニクオイルに、チーズの入ったフランスパンをつけて食べた。美味い。
テレビを眺め、2時過ぎ就寝。

○佐藤優・魚住昭『テロルとクーデターの予感』(朝日新聞出版)
-「佐藤:辺見(庸)さんが、いま憲法九条が危機的な状況にあるとチョムスキーに言ったら、日米安保のもとで九条を謳歌しているのはちゃんちゃらおかしいと言われた。それを聞いて辺見さんは大変なショックを受けたと。それはそれでわかります。でも、欺瞞でいいじゃないですか。国際政治とは所詮その程度のものです。日本は安保条約とセットの平和を選択しました。それによって経済発展ができました。なにか問題があるんですか?あとは、いまこのフレームが無効になっているのか否か検討する、ということだと思うんです。リアルポリティックスの世界において、自衛隊の海外派兵に一定の歯止めがかかっていることと合わせて考えてみると、無効ではないと思うんです。微調整ですむと思う。私は、憲法九条の護憲論をこのように組み立てています。」(P66)
-「佐藤:自分たちが何かやりたいと思ったら、国家を頼るのではなく、志の共通する人間たちのイニシアチブで共同体をつくる。それはいろいろな性格のもので、NPOやNGOという形態をとるものもあるでしょう。ひとりの人がひとつの共同体に身を置くのではなく、複数の共同体に属することでネットワークが広がってゆく。それらが国家を媒介とせずに、地下茎のように幾重にも結びつくことで、国家という巨大な暴力装置を縛り、暴発を抑えることができる。」(P78)
-「佐藤:ここで、2006年に亡くなった、作家の米原万里さんの話をしたいと思います。米原さんが亡くなる前に、何度かお会いして、唯物論をめぐる話をしました。米原さんの姿勢は、徹底した唯物論者として生きて、徹底した唯物論者として死にたいというものでした。癌がかなり進行していましたが、絶対に神様を信じたくないと。ただ、お墓を買い、そこに入らなくてはならない。だから自分が死んだら葬式はお寺でやろうと思っている。近い将来訪れるであろう自身の死を前に、唯物論者であることで筋を通したいのだが、お墓は仏教のお寺に設けたので、このことに矛盾がないことを納得したいのだとおっしゃった。
魚住:佐藤さんはどう答えたんですか。
佐藤:簡単です、と。仏教はすべてが因果関係からできていて、それらはすべては仮の姿である。だから世界の創造者もいなければ、人間を超越した神もいないという無神論というのが、仏教の基本的な考えだと言いました。すると米原さんは、唯物論者として、仏教を受け入れることは障害になるかどうかと。そこで逆に米原さんに聞き返したんです。あなたは、死んだ人たちと生者との関係、あるいは、死んだ人といつかは出会うことができると考えていますかと。
米原さんはその点は明晰で、人間という物は、物質と物質がある特殊な結合をすることによって、各人の個性ができている。死んだら、結合していた物質がバラバラになる。人間には魂という余計な要素はないわけだから、原理的にはある人を構成していた物質が、同じ条件で結合すれば再び生を得られるはずだと。彼女はそう信じていました。これは素朴唯物論だと言っていいと思います。
魚住:ある種の再生物語ですか。
佐藤:そう。再生は理論的に可能であること。ここから先は、私の敷衍になりますが、ある人のDNAデータが残っていたり、細胞が残っていたり、あるいは、人となりがわかる文書資料、そういったものがあれば、いつの日か、人間を物質からつくり出すことはできるかもしれない。そうなると、神様といった超越者を措定する必要はありませんね。こうした立場を実体とみなせば、素朴唯物論になります。逆に虚妄な世界であるとみなせば、仏教の因果説に極めて近くなります。
魚住:つまり、素朴唯物論と仏教の世界観は、実は非常に近いところにあるとおっしゃりたいのですか。
佐藤:そうです。ですから、唯物論者として生きることと、仏教を受容することとはぶつからないと思うと、米原さんに言いました。実体か、虚妄かという点を括弧に入れれば、仏教的な価値観が色濃い日本において、唯物論は比較的受け入れられやすかったのではないでしょうか。」(P134)
-「私たちは子どもの頃、父親、母親がいろいろと面倒を見てくれたおかげで大きくなることができたわけです。だからといって、面倒を見てくれたことに相当するものを親に返しているわけではありませんよね。それは、自分の子供だったり、恋人だったり、別のところに返していますね。こうした非対称の関係で成り立っているのが贈与であり、これを人間の基本として考えると、労働はこう考えられると思うんです。すべて他人のための労働だと。」(P208)

by daiouika1967 | 2009-02-12 20:57 | 日記  

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