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11.24 火 曇のち雨

■最近、1時間以上も人と話していると、なんだか奇妙な非現実感を覚えることがある。仕事の話ではなく、雑談をしているときに、その非現実感は起こる。離人症気味なのはずっとそうだが、その感じがひどくなった先には、パニック・ディスオーダーの症状があるような気がする。ただ、制御が利いているうちは、ふわっとした浮遊感があって、厭な感覚ではない。

玄侑宗久『アミターバ -無量光明』(新潮文庫)を読む。解説は中沢新一。まずその解説から読んだ。『アミターバ』は、小説の形をとった、現代日本の「死者の書」だという評が書かれてあった。
医学的な死を迎えた後、死にゆく人々の心には、まばゆい光が溢れ、その全存在を覆いつくしていく。そうした「死の現実」を伝えるのが、例えば「チベット死者の書」などの古くからの経典で、それらは仏教よりずっと古く、おそらくは人が人の心をもったときからの叡智の表現として、連綿と伝えられてきた。
『アミターバ』は、その伝承されてきた叡智を、小説という誰もがアクセスできる形で、現代の日本に解き放つ書である、と中沢は評す。

小説は、病んで死にゆく老婆の一人称で書かれている。「私」は、次第に時間感覚を失い、夢と現実の区別も曖昧になり、死に近づき、ついには死に至るのだが、さらにその死の後の体験まで、「私」の視点で語られている。
小説の書き出しをすこし引用する。
「それは五月の半ばに始まった。
男の人が十人以上並んでいて、みな私に背を向けて立っていた。似たような背広を着ていたと思う。そしてそのうちの一人の右腕の袖を、なぜか私が引っ張っている。誰だったのか、憶いだせなかった。なぜ引っ張っているのかも判らなかった。ただ、気がつくと私はまるで自然に背広の袖を引っ張っており、自分のほうにぐいっと、軽く引いたつもりだったが、その人は何の抵抗もなく、体を伸ばしたまま大きな音をたてて仰向けに床に倒れた。
私は仰天してその場から逃げだした。そこがどこなのかも判らなかったし、憶いだすと大きな音など聴いていないような気もした。が、とにかく私は走って逃げた。少なくとも私はそう思っていた。そしてようやく逃げおおせたと思い、遠くに見える人影が近づいてくると、まだ誰なのか判らないまま安心して呟いた。
『やっぱし、救急車呼んであげるべきやったんやろかなあ』
その時はもう、倒れた人を気遣う余裕が芽生えていた。人影は、急にそんなこと言われても、という顔で戸惑うようだったが、すぐに『母さん大丈夫よ』『母さん安心して、ここは病院なんだから』と言って私の額に手を当てた。」

夢から覚めて、わけのわからない言葉を口走る老婆を、娘が慰め、安心させるという場面である。しかし、一貫して老婆の視点で語られているため、夢と現実の境が溶け出し、生のなかに死が滲み出している世界の感触が感じられる。

もう一箇所、最後に近く、「私」がついに危篤状態に陥った場面を引用する。
「急に暗闇に吸い込まれた。どんどん上昇し、上昇するにつれてスピードも速まるようだったが、どのくらいの距離を移動したのかも、それがどのくらいの時間だったのかも判らない。ただ印象としては瞬時で、まるでポンプで吸い上げられるような圧力を感じ、すこし苦しかった。しかし気がつくとほどなく細い通路のような暗闇が終わり、深海から海上に浮かび上がったような解放感と眩しさに包まれていた。
私自身が発光しているらしいのだが、それはこれまで見たことのない輝きで、光と呼んでいいのかどうかも判らない。よく見ると無数の繊維が私から発生していて、その一つひとつは赤・青・黄のごく細い直線なのだが、赤から青が枝分かれすると赤は特別な色に変わって見えなくなり、またその青から黄が枝分かれすると赤は別な色に変わって見えなくなり、またその青から黄が枝分かれすると青は色を変化させつつやがて消える。黄から今度は赤が分かれて直接で伸び、黄も寿命を終えたように変色して消える。その運動が無数の赤・青・黄について連続して起こっているから、それは全体としてちょうど絹のように柔らかい物質が七色に燃えているように見えた。その場が明るいのも私のせいかもしれなかったが、私にはまだ事態が呑み込めなかった。どこまでもどこまでも明るいようにも思えたが、これまでの習慣で果てはあるような気もする。だいたい今『見えている』とという事態も私にはよく解らなかった。ようやく慈雲さんや富雄の話を憶いだし、私はエネルギーになったのだと思った。
自分の体のことを考えたら、下の方にベッドに横たわった私が見えた。鎖骨のところに点滴の管、股間からは尿管がベッドの下に伸び、むろん胆汁の排出管も二本脇腹から出ているのだが、ほかに胃袋まで通った管が鼻から出ており、その上から酸素吸入マスクが被せられている。可哀そう、というより滑稽にさえ見える自分の体を、私は冷静に見おろしていた。見たいと思うあたりが見えるように私の視野は瞬時に変化したから、それは入院以来初めて見た自分の寝姿であるばかりでなく、生まれてこのかた見たこともない全体像なのだった。」

by daiouika1967 | 2009-11-25 22:44 | 日記  

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