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5月17日(土) 晴

11時過ぎに家を出て、名駅へ。ドトールで、木田元『ハイデガーの思想』(岩波新書)を読む。2件梯子して読了。伏見まで歩き、三度ドトールに入る。堀切直人『堀切直人コレクション3 新編 迷子論』(右文書院)を読む。130ページほど。名駅まで引き返し、<タワレコ>でテープ『ルミナリウム』、ガブリエル・アナンダ『バンブー・ビート』、ウーリッヒ・シュナウス『グッドバイ』、ザ・バックホーン『Best』の4枚を買った。ポイントが8000円分溜まっていたので、支払いは不足分の2千円のみ。夕食は、妻と、近所の焼肉屋に行った。ホルモン、カルビ、ハラミ、ミノ、焼きレバー、生レバー、セセリ、キムチ、冷麺。夜は、DVDで井筒監督『パッチギ』、伊藤俊也監督・梶芽衣子主演『女囚さそり第41雑居房』。2本とも娯楽映画としてのツボをうまく押さえてある。深夜、テレビで『ノブナガ』を眺めつつ、『谷川俊太郎の33の質問 続』から、読み残していた高橋悠治の章を読み、読了する。今日はやたらと消防車と救急車のサイレンの音がする。近所で火事でもあったのかと、妻が窓の外を眺めるが、「何も見えないなぁ」とのこと。部屋のなかでは、Pがニャアニャアニャアニャアずっと鳴いている。「どうした?」と聞くと、一瞬、鳴き止んでこちらの顔を眺めるのだが、すぐにまたニャアニャアニャアニャアが始まる。またたびクッキーをやれば落ち着くかと思いやってみるが効果なし。そのうち鳴きつかれて猫タワーにのぼり眠ってしまった。ようやく静かになった。2時過ぎ、就寝。

木田元『ハイデガーの思想』からの引用。

○《「現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある(エス・ギブト)。」
「存在は了解のうちにある(エス・ギブト)」
「現存在が存在するかぎりでのみ、存在は<ある(エス・ギブト)>」
<ある(エス・ギブト)>とルビをふったのは、これが<存在する(ザイン)。という意味での<ある>ではないということを示そうとしてのことである。というのも、もしこれが<存在する>という意味での<ある>だとすると、<存在>がふたたび<存在するもの><存在者>になってしまい、<存在は存在者ではない>という原則に抵触することになる。それを避けようとしてハイデガーは、存在に関しては<ある(エス・ギブト)>という言い方をする。どうしても気になる方は、この<ある(エス・ギブト)>を<与えられる>と読み替えてくださってもよい。これらの命題は、<存在>は現存在のおこなう<存在了解>の働きのうちにあるのだ、ということを言おうとしているのである。
では、<存在了解>とはいかなる働きなのか。これもあまりはっきりしない概念である。ところが、はイデガーは『存在と時間』と同じ時期の『現象学の根本問題』という講義(1927年夏学期)では、これを<存在企投>と言いかえている。この方が分かりやすい。<企投>というこの言葉は、英語ではprojectと訳されるのが普通である。projectには<投射>という意味がある。<存在企投>とは、現存在がいわば<存在>という視点を投射し、そこに身を置くことだと考えればよい。つまり、<存在>とは現存在によって投射され設定される一つの視点のようなものであり、現存在がみずから設定したその視点に身を置くとき、その視点に現れてくるすべてのものが<存在者>として見えてくる、ということである。》

○《一般に動物は、多少の幅はあるにしても狭い現在を生きることしかできず、したがって現に与えられている環境に閉じ込められることになる。そこには過去も未来もないのである。ところが、神経系の発達がある域を越えた人間は、記憶や予期の働きによって、過去や未来という次元を開くことができる。もっと正確に言えば、現在のうちに、あるズレ、差異化(デリダの言う<差延(ディフェランス)>が起こり、そこに過去とか未来と呼ばれる次元が開かれてくる。そうした次元へ関わる関わり方が記憶とか予期とか呼ばれるのである。そうすることによって人間は、現に与えられている環境構造のうちに生きながらも、そこにかつて与えられたことのある環境構造や、与えられうる可能な環境構造を重ね合わせ、それらをたがいに切り替え、相互表出の関係におき、そうすることによって、それらさまざまな環境構造のすべてをおのれの局面(アスペクト)としてもちながらも、けっしてそのどれ一つにも還元されることのないような参照項Xを構成して、現に与えられている環境構造をそのXのもちうる可能な一つの局面として受けとることができるようになる。
こうして人間は、動物のように自分の生きている環境構造をそれしかないものとして受けとるのではなく、他にもありうる環境構造の可能な一つとして捉え、いわばそこから少し身を引き離すことができるようになる。その参照項Xが<世界>と呼ばれるのである。したがって、<世界>とは、さまざまな環境構造を相互に関連させることによって構成される高次の<構造>だと言えよう。
このようにさまざまな構造をさらに高次に構造化する働き、さまざまな関係をさらに高次の関係のもとに関係づける働きを、神経生理学や動物行動学の領域で<シンボル機能>と呼ぶ。<世界>とは、言いかえればそうした機能によって構成される<シンボル体系>のことなのである。
<世界開在性>とか<世界内存在>というのは、人間がそうした<世界>という構造を構成し、それに適応しながら生きる生き方、存在の仕方を指すと考えてよい。このような高次の機能によって、現存在が現に与えられている環境から身を引き離すその事態を、ハイデガーは<超越>と呼んでいる。現存在は、<生物学的環境>から<世界>へと超越するのである。

by daiouika1967 | 2008-05-19 09:56 | 日記  

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