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6月16日 (月) 晴

今日もいい天気。梅雨の中休み、と、天気予報。
10時過ぎまで眠り、何日かぶりに充分な睡眠が取れた爽快感があった。朝飯は、梅干ご飯と油揚げ味噌汁。パソコンで仕事、ネットの周回、日記つけなどし、11時半頃、家を出た。
昼飯は、<アルアビス>のランチセット。ほうれん草のパニーニ、サラダ、シュークリーム、アイスコーヒー。平川克美『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社)、『株式会社という病』(NTT出版)をつづけて読む。
仕事でヘルスチェーンのオーナー、そのオーナーになぜか同行してきた構成員の人と会う。構成員の人がなぜついてきたのか、最期まで不明だったが、敢えて疑問を口にすることは避け、淡々と話を進める。
つづけてインド人と会う。彼は滑らかな日本語を喋るのだが、話のなかでところどころ英単語を混ぜ込む。その英単語の部分はもちろん完全に英語の発音で、早口ということもあって、何を言っているのかよく聞き取れない。それでも文脈で彼の言いたいことの大筋はなんとなくつかめるので、敢えて疑問を口にすることは避ける。
6時半頃、帰宅。夕飯は、もやしにら豚バラ炒め、揉みきゅうり。
DVDでリチャード・フライシャー監督、チャールズ・ブロンソン主演『マジェスティック』を観る。ブロンソン演じる最強の農夫がマフィアと戦う!という映画。なぜそういうことになったのか、経緯を話そうとするとけっこうややこしい。しかしさすがフライシャー、無駄のない的確な演出で、物語のスピード感を保ちつつ、最期まで引っ張っていてくれる。
マリオカートを二時間くらい。1時半頃、就寝した。

平川克美『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社)。

《ビジネスはどこまでいってもお金儲けを目的とした活動です。ただ、このお金儲けは必ず商品を迂回して達成されるということが重要なことだと思うのです。つまりビジネスは迂回そのものなのです。そして、その迂回の仕方の中に、ビジネスのつらさも面白さも潜んでいるとわたしは思います。
わたしが「グローバリズム的な思考」に最も違和感を感じるのは、そこではこの迂回は忌避すべきもの、無駄なものだと考えられているらしいということにあります。そうでないことを証明するためには、わたしは少々荷の重い大胆なことをやらなければならないと感じています。
それはビジネスを再定義することです。》


「ビジネスは迂回そのものなのです」という言い方のうちに、著者の思想の核があるように思う。
ビジネスの目的はお金儲けにあることは間違いないけれど、しかし、その目的に向けて最も合理的で最短のパスをさがす、ということがビジネス行為の要諦ではない。

「グローバリズム的な思考」にとって、商品はただ「リスク」としてカウントされる「不確実要因」でしかない。そうした思考のもとでは、“商品を捨象したビジネス”が最も優位のビジネスモデルであるということになり、すなわち「グローバリズム的な思考」を進めるなら、金で金を売り買いする金融ビジネスに行き着くしかない。

こうした「グローバリズム的な思考」に対して、平川克美は、「ビジネスとは迂回そのもの」であると対抗する。
迂回、とは、商品を開発し、市場に問い、それが消費者の欲望を喚起し購買につながり、その結果がまた商品の開発現場にフィードバックされ、というプロセスのことになるだろう。
ビジネスとは、そのプロセス「そのもの」なのだ、と平川克美は云っているのである。
そして、そのようなビジネスのプロセスは、単一のゴールに向けてあらかじめ構成されうるものではなく、つねにプロセスのそのなかにあって、未来を切り開くように進めるしかないようなものなのである。

《ビジネスを「お金」であれ「達成感」であれ、あるいは経営者の自己実現であれ、明確な目的が事前にあるものだとする考え方そのものが、ビジネスをつまらなくさせている原因のひとつであるということなのです。
迷路をくぐり抜けると財宝の小箱に辿り着くというような「上がり」のあるゲームとは根本的に異なる面白さがビジネスにはあると、わたしは言いたいのです。将来に目的というものを設定することによって、ビジネスの「現在」は将来に奉仕するための手段になります。この現在の絶えざる手段化こそ、ビジネスの本来の面白さを殺ぐ原因であると思っているわけです。》


「将来の目的」に奉仕する「手段としての現在」ではなく、未知の未来に向き合った「先端としての現在」。
しかし、ビジネスの現場において、確実なことはなにもなく、そもそも誰もがこの「先端としての現在」のなかにいる。
「先端としての現在」に立って、「未知の未来」を切り拓くには、どんな知性が必要とされるのか。
《わたしたちに今必要とされるのは、生起する問題を既知に結びつける専門的、分析的、事実確認的な知性ではなく、新しい事態に対応して自ら未来を切り拓いてゆく汎通的、統合的、遂行的な知性であると思っています。ひとことで言うなら、自分の頭で考えることを養うということです。》

《起業家とは何かを考えるとき、たとえば投資家とは何かを考えてみるとわかりやすいかもしれません。投資家とは未来の株価から出発して、現在の投資を決めるわけです。それに対して起業家は、絶えず現在を更新しながら未来を切り拓く以外の方法を持ってはいません。政府の経済担当者のプラン上や、シンクタンクの描いた教育プログラムの中や、大学のMBAコースやMOTコースの中から生まれてくるのは起業家ではなく、むしろ無数の投資家候補者であったという事実がこれを証明しています。
起業家はあくまでも仕事を通して、仕事に対する愛着、思想、方法論の上に自らの物語を作り上げてゆきます。そして、そのふるまいこそが会社の仲間をバインドしてゆく共通言語、つまりは「共同幻想」を生み出してゆくわけです。その意味では、起業家とは最初からシャーマン的な役割を担って登場するのです。》


「ビジネスの本来の面白さ」は、「迂回=プロセス」のなかに存する。
その「迂回=プロセス」のなかには、もちろん多様な側面があって、ビジネスの現場においては、「キレイごと」では済まされない、取引の当事者間での「腹のさぐり合い」が要請されたりもする。
ビジネスに関わる人間には、それも「込み」で「面白がる」というタフさが求められるのかもしれない。
しかしながら、とは言うものの、ビジネスの基本は、顧客に満足や喜びを味あわせることのできる商品だけが市場に生き残ることができる、という単純な原則に拠っている。
そして「ビジネスの本来の面白さ」の核もここに由来しているのである。

《ビジネスとは基本的に、顧客と向き合うところから始まります。お客さんに喜んでもらう、満足してもらうということが、商品やサービスに対する反対給付のはずです。そしてそれを「お金」という形で表現しているわけです。これはあらゆる商いの基本です。ビジネスの楽しみも面白さもここに由来しているのは言うまでもありません。
いや、お客さんの数は限られているから、他のお客を奪い取るのがビジネスであり、そのためには競争優位の戦略が必須なんだよ、と言われるかもしれません。確かに競争で優位に立つのはビジネスにとって死活的な問題です。しかし競争の優位性は、あくまでも商品やサービスの「質」に基礎づけられるものであり、商品の差別化もまた「顧客満足」に基礎づけられるものであるはずです。
当然のことながら、顧客は敵ではありません。では同業者はどうなのか。同業者は決まったパイを取り合うときは当然のことながら利益が相反する関係にありますが、パイ全体を広げるという意味では、利益を共有する関係にあるわけです。つまり、生産者と同業者と顧客との間は、そのときどきで競争したり、協力したりする関係にあるわけです。そして、顧客や同業者との関係をどのように捉えたらよいのか、ということこそ、ビジネスにとって第一義的に重要な課題であるとわたしは思っています。(中略)
ひとことで言ってしまえば、お客さんと向き合って、喜んでもらえるという交換の基本を忘れないようにしようよ、ビジネスの全ての課題は、ビジネスの主体がお客さんと何をどのようにして交換したか、その結果、主体の側に何が残り、お客さんの側に何が残ったのかということの中にあるはずだということです。》

by daiouika1967 | 2008-06-17 10:26 | 日記  

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